波上宮

那覇市若狭1-25-11(平成20年1月26日)

東経127度40分23.86秒、北緯26度12分57.26秒に鎮座。

 この神社は那覇市北西の那覇港の海の上に突き出た崖の上に鎮座しています。嘗てはニライカナイ信仰(海の彼方より幸福を持ち来る神々に祈る)の伝承が残るように、海上には何もなく、遙か沖合まで見渡せる聖地だったのでしょうが、現在は海上に道路が通され「波の上橋」が架かり、古の神の道は分断されてしまったようです。
 その代わり、陸上には入口に立派な大鳥居が建立され、参道の石段を上がると境内入口にも石の大鳥居が建っています。境内は綺麗に整備され、正面には沖縄風の瓦が葺かれた美しい社殿が建ち、社殿を陶器製の面白いシーサーが護っています。また境内左手隅には境内社の世持神社と浮島神社の仮宮が祀られています。
 拝殿からは本殿正面が見えるのですが、本殿の全体像は見えないので、境内右手を降りていくと波の上ビーチに出ます。すると砂浜から見上げる崖の上に本殿の屋根が見えてきます。下部に洞穴が開いた崖には海の中まで鎖が張られ、鎖は本来は結界として作用していたのでしょうが、現在は若い人たちの冒険の場となってしまったようで、何人もの人達が洞穴に出入りしていました。

 御祭神:主神:伊弉册尊、速玉男尊、事解男尊、相殿神:産土神(鎮守神)、少彦名神(薬祖神)
       境内仮鎮座:浮島神社 (天照大神奉斎・別称−長者宮)、世持神社 (沖縄産業三大恩人奉斎)
 例祭日:元旦・歳旦祭、1月3日・元始祭、1月15日・古神札焚上祭、2月3日・節分祭、2月11日・紀元祭、2月17日・祈念祭、春分の日・春分祭、4月29日・昭和祭、5月16日・宵宮祭、5月17日・例大祭、6月30日・夏越の大祓、秋分の日・秋分祭、10月17日・神嘗祭当日祭・奉賛会秋大祭、11月3日・明治祭、11月15日・七五三祭、11月23日・新嘗祭、12月23日・天長祭、12月25日・御煤納、12月31日・大祓祭、12月31日・除夜祭
 境内社:浮島神社、世持神社
 由緒:この社は琉球國一宮で旧官幣小社、沖縄総鎮守、琉球八社(波上宮・沖宮識名宮普天満宮末吉宮八幡宮天久宮金武宮)の筆頭の社です。創建は古く、沖縄独特のニライカナイ信仰に始まり、「端城(ハナグスク)」と呼ばれた御嶽だったという説もあります。
 伝説によれば、「南風原の里主という者が釣りをしていると、ある日浜辺で「光り、ものを言う」霊石を見つけた。この石に祈るたびに豊漁となるので、諸神がこの霊石を奪おうとした。そこで里主が当地へ逃れると「吾は熊野権現也、この地に社を建て祀れ、然らば国家を鎮護すべし」との神託があった。里主は琉球王府にこれを奏上し、社殿が創建された。」と伝わっています。
 その社殿の創建は不詳ですが、史記「琉球国由来記」に薩摩の頼重上人が波上宮の別当寺として波上山護国寺を開山(1368)し王の祈願所としたと記載があります。また大永2年(1522)寛永10年(1633)享和3年(1803)などには天災・火災などにより造営・再建されました。
 明治23年(1890)、官幣小社に指定されて社勢も高まりましたが、昭和20年の沖縄戦で灰燼に帰し、昭和28年、ハワイ移民の寄進により本殿が再建され、昭和36年には拝殿が再建されました。平成5年には、全社殿の本格的復興が成りました。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)

神社遠景
波の上ビーチを見下ろす崖の上、
海に突き出た磐上に神社は鎮座しています。
神社入口 社号標
「官弊小社 波上宮」
境内入口 境内の様子
拝殿前、平成5年生まれの陶器製シーサー
拡大写真はこちらで
(平成5年(1993)12月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子と本殿正面

波の上ビーチから見た本殿遠景
波の上橋から見た本殿
境内社:浮島神社仮宮
境内社:世持神社仮宮