那覇市泊3-19-3(平成20年1月24日)
東経127度41分5.2秒、北緯26度13分27.87秒に鎮座。
この神社は泊高校北に鎮座しています。道路脇に大きな朱の鳥居が建っているのですが、その後ろは駐車場で何もありません。一瞬、「神社は何処?」と探してしまいましたが、その鳥居左に狛犬が一対置かれ、下に降りる階段が付けられています。半信半疑の気分で階段を下りると、境内右にはすぐに社務所があリました。上の駐車場はこの社務所の屋上部分だったようです。境内に入ると右手に拝殿が横向きに建てられ、その奥には権現堂と書かれた建物が建っています。拝殿右側を回り込むと神明造りの本殿が建ち、本殿裏の石段を上がると拝所になっていて、「泊龍宮神」「弁天負泰彦大神」と書かれた石碑が建っています。ここが元々の御嶽なのでしょうか?
御祭神:天龍大御神・天久臣之姫大神(先樋川)、泊龍宮神、弁天負泰彦大神、弁財天
熊野三神(伊弉冉尊、速玉男神、事解男神)
例祭日:5月15日(旧4月5日)、月次祭(毎月旧暦1日、15日)
境内社:弁財天
由緒:この社は、旧無格社で琉球八社(波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮)の一社です。
社前掲示板を要約すると「社伝によると、銘苅村の銘苅の翁子という者が天久野で、法師を従えた気高い女人と出逢いました。法師に尋ねると、法師は山の中腹に、女人は山上の森に住んでいるといいます。翁子が様子をうかがっていると、女人は洞窟に入る途中で姿が消えてしまいました。翁子は驚き、事の次第を王に奏上し、王の命令で、洞窟に向って香を供へたところ、それが自然に燃えました。その時、「我は熊野権現なり、衆生の利益の為に現はれたり。かの女人は國家の守護神なり、弁財天である。」という御神託がありました。そこで、神徳を重んじ國家安全、萬民豊楽の基のため、洞窟の前に社殿を建立して祀りました。
昭和19年空襲の折に社殿は消失し、戦後は御嶽形式により奉祀していましたが、昭和47年本殿を建立しました。」ということでしょうか。
道路の左側に建つ赤い鳥居 でも奥は駐車場、神社は何処にあるの? |
|
鳥居左にある境内入口 | 境内への下りの石段 |
拝殿 | |
拝殿内の様子 |
神明造りの本殿 |
権現堂 権現堂内には数体の仏像が並べられ、 この日は堂内に沢山の人が集まって お参りをしていました。。 |
境内社:弁財天 |
本殿裏の石段を上がると拝所になっていて、 「泊龍宮神」「弁天負泰彦大神」と書かれた石碑が建っています。 |
|