那覇市安里3-19-14(平成20年1月24日)
東経127度41分48.87秒、北緯26度13分1.13秒に鎮座。
この神社はゆいレール・安里駅の北500m位の道路突き当たりに鎮座しています。狭い道路の曲がり角に階段があり、階段の上に鳥居が建っているのですが、鳥居を潜ると西隣が保育園…というより、保育園の敷地内に境内があるような感じになっています。沖縄では格式の高い琉球八社の一つ、ということを知っていたので、これには少なからず驚きました。正面には沖縄独特の瓦をのせた社殿が造営されていますが、女性が数人でお参りをしている最中だったので、私たちは遠くからの撮影と参拝だけで遠慮させていただきました。
御祭神:神功皇后 應神天皇 玉依姫
例祭日:例大際・旧9月9日
由緒:琉球八社の一つで、 1466年(尚徳6)の創建・<上り口説>に<行けば八幡崇元寺>と歌われ、真和志村(現那覇市)安里の丘陵地に所在、琉球八社(波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮)のなかの七社が熊野権現を祭神とするが、本社のみ八幡社として本宮に応神天皇、相殿左に玉依姫、右に神功皇后を祀る。
「琉球神道記」「琉球國由来記」「球陽」に八幡神の勅請由来(縁起)を記す。それによれば、1466年尚徳王の喜界島征討のさい、一矢で鳥を射落とせば平定、はずれたら失敗と八幡神に誓約(うけい)して、鳥を射落とした地に霊社を建立して八幡神を奉祀、八幡宮と名づけて弓矢・甲冑、浮鐘を神宝として秘蔵したという。
社殿は本殿のみで、三間社(三間二面)入り母屋造り、本瓦葺き、桁行き5.9m、奥間3m、向棒の深さ2.4mで、面積19.8m2(6坪)。
境内には神徳寺が併置されていた。1908年(明41)境内に沖宮が遷座されている。宮社は、いずれも沖縄戦で焼失し、その後再建されている。(沖縄大百科事典・沖縄タイムス社)
戦後は地域住人の手によって仮宮が造営され、旧9月9日を祭日と定め年々年々賑やかに祭事がいとまれてきたが、平成5年12月11日復元された。
(境内案内より)
神社入口 |
境内の様子 | 歌碑「安里八幡ぬ 松らちゆるうすく うりが露てはる ぬかんずくたげに」 (と読めるのですが、解釈が出来ません。??) |
本殿 |
本殿から入口を振り返る | 境内左側の「愛泉保育園」 |