国頭郡金武町金武222(平成20年1月26日)
東経127度55分25.91秒、北緯26度27分4.71秒に鎮座。
金武町役場の西南西400m程の辺り、米軍基地キャンプハンセンの東側と言った方が分り易いかも知れません。そこに金武観音寺があり、そのお寺の境内に鎮座しております。しかし境内といっても、永酒堂と呼ばれる金武鍾乳洞があり、金武酒造が酒蔵として利用している、その鍾乳洞の中に社殿が建っています。
鍾乳洞入口。「鍾乳洞酒造 入場料大人400円、中高生300円、小学生200円。鍾乳洞の古酒をご見学希望の方はチケットを茶屋にてお買い求め下さい。AM9:00-PM5:00 年中無休」と書かれた看板が立っています。しかし金武宮そのものの由緒書はありません。
チケットを買いにお茶屋さんに行き、参拝したい旨お話したところ、「参拝でしたら入場料は結構です。」との事、入場料は鍾乳洞見物の観光代のようです。
金武鍾乳洞・金武宮入口
入ってから見る入口。右側のレールは泡盛の運搬用。やや目障りです。
菩薩の昇天図
金武権現宮
社殿。
説明が無いのでどちらが何とは言えないが、この鍾乳洞全体を金武宮と考えて良いのではないでしょうか。
お茶屋さんで伺ったお話では「入口からの階段の途中に有ります。」という事だったので、入場料を払っていない我々としてはやや遠慮してこれより先には行かなかったのですが、さらに奥に石祠があるようです。残念!
先の方はかなり広いようです。先の沖縄戦の時ここへ逃れて助かった人も沢山おられるとの事。
観音寺本堂。
由緒書
由緒書に書かれている日秀上人。永正年間(1504〜1520)に熊野から観音浄土の補陀落山を目指して旅立つ、所謂「補陀落渡海」をした渡海上人です。嘗て熊野を旅して、補陀洛山寺で住職さんより補陀落渡海のお話を聞いた時は宗教的な自殺行為と思っていましたが、生きて浄土へたどり着く為、渡海した上人もいたようです。日秀上人も補陀落を目指し、ここ沖縄金武の富花(フナヤ)港に流れ着き、熊野信仰をこの地に広めたと言われています。
その他、村の美しい若い女性の生肝を常食にしている大蛇を法力で閉じ込めたり…と、超能力を持った日秀上人。戦国時代の初めで混乱していた日本に愛想が尽きたのでしょう。観音浄土を目指して旅立ったのも当然かも知れません。
大蛇のお話はこちら。
観音寺の境内。
日秀上人だけでなく、色々な人が熊野よりここ琉球にたどり着いたのではないでしょうか。それなら、琉球八社(波上宮・沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・八幡宮・天久宮・金武宮)の内七社まで熊野権現を祀っているのも納得です。