芭蕉天神宮

富士郡芝川町内房大晦日(平成20年6月28日)

東経138度33分43.74秒、北緯35度9分51.31秒に鎮座。

この神社は、芝川町と富士川町の境に近い山の中にひっそりと鎮座しております。奥深い山の中に在るにもかかわらず綺麗に掃除された境内や大きな拝殿や本殿など、氏子の方々は一体何処にお住まいなのか不思議なほどです。案内図はこちら。

芭蕉天神宮由緒
祭神 右大臣菅原道真公(903年没)・右大臣久我長道公(1334年没)
この道は由比より甲州街道に至る塩の道です。明治大正時代は参謀本部の通達道路として、清水郡役所と内房役場に結ばれておりました。
時は後醍醐天皇の御代建武の改革を図る記録所を設けて国の政治を行いました。其の時の三役の一人が久我長道公で天皇から重要されました。
天皇は鎌倉幕府の横暴を許さず新田義貞に命じて倒幕に成功を納めました。後醍醐天皇は兼ねてより富士宮浅間大社を深く信仰しており戦勝報告に大納言久我長道公を勅旨として派遣されました。
富士宮浅間大社第二十一代宮司富士時国氏に奉幣式を取り行い富士下島郷の水田を浅間神社神領として奉納されました。1334年旧9月3日と印されています。任務を終えた久我大納言は白馬に跨り帰途につくも大晦日部落に至り持病の仙痛脱傷の発作を起こしました。付人里人八方に手を配り看護のかいもなく亡くなられました其の時、久我大納言は付人里人に対し「予は菅原天神を敬う此の地に祠を建て余も共に祀ってくれ」と遺言されました。時は旧9月9日でした。
天皇政治の大立者重臣として国中より惜しまれ大社殿が建立され大祭日には国鉄に祭典列車の運行も記録されて居ります。
御神徳 学問成就 神体健全 子孫誕生 家業繁栄
平成十九年二月吉日
芭蕉天神宮 名誉総代 望月旭建立

参道入り口と社号標。久我高照書と在ります。御祭神・久我長道公の御子孫なのでしょうか。

神社入り口と境内。ご覧のように一段低い所に社殿が建っています。

拝殿

拝殿前の狛犬、子沢山の江戸流れです。狛犬を運んだのでしょうか、それとも石工にここまで来てもらったのでしょうか。拡大写真はこちら。

(明治7年(1874)4月建立)

総欅素木造三間社流造の本殿

本殿縁側の神殿狛犬。拡大写真はこちら。

(寛政9年(1797)丁巳5月吉日建立)

本殿には精緻な彫刻が施されています。拡大写真はこちら。

右大臣久我長道公をこの地まで乗せて来た白馬でしょうか。

芭蕉天神の名前の由来ともなった芭蕉が茂っています。

現在ではすっかり山の中、といった場所ですが、古い時代には身延街道沿いだったようです。道路も随分変わったものです。行くのに若干の困難がありますが、とても雰囲気の良い神社です。季節の良い時是非参拝をお勧めします。