伊香保神社

渋川市伊香保町1(平成19年7月8日)

 この神社は群馬県を代表する温泉・伊香保温泉の最上部に鎮座しています。富岡の貫前神社、赤城の赤城神社とともに上野国三之宮とされる由緒ある神社で、文字通り伊香保を訪れる人と温泉街を守護する神社とされてきました。伊香保温泉石段最下部には関所跡の建物があり、神社までは約360段の石段が続きます。その間石段の左右にはお土産屋、喫茶店、コーヒーショップなどが立ち並んでおり、女性陣は興味のあるお店を覗いたり、甘味処で美味しいものをいただいたり、休み休み、楽しみながらの参拝が出来ます。以前テレビの旅番組でこの神社と階段を見てから、私の憧れの地となっていたので、今回は楽しみにやってきました。本当は伊香保温泉に泊まってのんびりと参拝したかったのですが、夫はこういうところは苦手なので今回はパス…、何れ友達とでも参ることにしましょう。ともあれ、最上部の商店を過ぎると、岡崎現代型の狛犬がおり、一の靖国鳥居が建ち、ここからが本格的な参道となります。二の鳥居を潜り境内に入ると、周囲の伊香保の山々が望め、とても有名温泉地の近くに鎮座する神社とは思えないほど静かな雰囲気に包まれた佇まいを見せています。

 御祭神:大己貴命・少彦名命
 例祭日:9月19日
 境内社:建御名方神、大山祇神、倉稲魂神、八坂神社、八幡宮、稲荷神社
 由緒:延喜式の名神大社に列する格式高い古社で旧県社、御祭神の少彦名命は上野開拓の祖で、医療・酒造や温泉などに効験のある神様といわれています。社伝によると、垂仁天皇元年(紀元前29年)の創祀と伝えられ、古くは伊香保明神と称して上野国神名帳の三之宮とされていました。明治維新前には湯前神社と称していましたが、明治6年、旧号の伊香保神社と改称しました。この社の里宮は北群馬郡吉岡町大久保の三宮神社で、そちらの御祭神は彦火火出見尊、豊玉姫命、少彦名命です。

伊香保神社略記
群馬県北群馬郡伊香保町伊香保一
(電話○二七九一七二-二三五一〉
延喜式府社
上野国十二社大神
御祭神
大凡貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

例大祭九月一九日
第五十四代仁明天皇の承和二年九月一九日大社の社号を授けられたことに由来している。
伊香保温泉街三百六十余段の石段の最上段に鎮座し、南に山を配し北東には越後連山が眺望される位置にあり明治十一年春伊香保失火により焼失後仮宮として建立、現在に至る。
御由緒沿革第十一代垂仁天皇朝時代(皇紀二九三年)の開起と伝えられ位階については第五十四代仁明天皇朝(皇紀六三二年)承和二年九月一九日名神の社に承和六年六月従五位に列す。累進して第五十七代陽成天皇朝元慶四年従四位を授けられる。第九十一代後宇動天皇朝元治元年正一位に列す。第六十代醍醐天皇の延喜五年明神社全国二八五社の中にありて上野国十二社中「名神大」三社の一つとなり、上野国明神帳に正一位伊香保神社とあり貫前神社、赤城神社についで上野三之宮と称される。明治維新前、湯前明神と称されたるも明治六年旧号伊香保神社と改称し同年県社並御社の格を賜う。
古来より家内安全、商売繁盛等種々の御神徳ありとして有名であり特に子宝に恵まれる神社として子授け祈願する参詣者が近年次第に多くなりつつあります。
年中行事
一月一日 元旦祭
二月三日 節分祭
七月第一月曜日 たび供養祭
八月四日 箸供養祭
九月十八日〜二十日 伊香保まつり

ここから有名な伊香保神社への石段登りが始まります。ここには関所跡の建物があり、入鉄砲、出女などを厳しくチェックしたといいます。神社までは約360段の石段があり、高低差は80mあります。 石段の左右にはお土産屋、喫茶店、コーヒーショップなどが立ち並んでいます。未だ時間が早いせいか、余り観光客の姿は見えません。
ここは与謝野晶子が「古代ローマの劇場のようだ。」と言ったそうですが、元々は武田勝頼が、真田氏に命じて作らせたものだそうです。
最上部の商店を過ぎると、岡崎現代型の狛犬がおり、一の靖国鳥居が建ち、ここからが本格的な参道となるようです。 境内入口と二の靖国鳥居
社号標代わりの灯籠の文字
「上野十二社第二宮 伊香保神社」
社殿内に御神輿が置いてある拝殿
神明造りの本殿 未だ新しい神楽殿
多数の末社
境内社・
三峯神社御眷属、建御名方神、大山祇神、倉稲魂神、八坂神社、八幡宮、稲荷神社
境内の様子 境内裏から望む伊香保の山々
この社のもっと上に伊香保温泉の源泉が湧き出ています。