三宮神社

北群馬郡吉岡町大久保1 (平成21年12月9日)

東経139度1分1秒、北緯36度26分10.8秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、高崎渋川線(25号線)を北上、田中信号を右折して進み、関越道の手前、左側です。大正10年生まれの狛犬は、地元の石工さんの作品でした。溝祭三宮神社獅子舞が伝えられていて、町の重要無形文化財になっています。境内に万葉歌碑がありました。二の鳥居は、正徳6年のものです。

吉岡村大字大久保字宮の地に鎮座する三宮神社は、天平勝宝二年創祀の伝承をもつ古名社で彦火々出見命・豊玉姫命・少彦名命の三柱の神を奉斉している。当社を三宮と称する所以は三柱の神を祭るためでなく、上野国三之宮であったことによる。九条家本延喜式神名帳には上野国三之宮は伊賀保大明神とあり当社はその里宮の中心であったと考えられる。抑古代当地方の人々は榛名山を伊賀保山と称し、その山頂を祖霊降臨の聖地と崇め、麓に遥拝所をつくり里宮とした。上野国神名帳には伊賀保神が五社記載されてありその中心の宮を正一位三宮伊賀保大明神と記している。当地三宮神社は伊賀保神を祭る中心地であったため、三宮の呼称が伝えられたのである。近くに大古墳群の存在はそれを裏付ける。当社を伊賀保神とする由縁はその祭神にもよるが、本殿に安置される十一面観音像のあることがこれを証する。南北朝時代の延文年中編と推定される神道集所収の上野国三宮伊賀保大明神の由来には、伊賀保神は男体女体の二神あり、男体は伊賀保の湯を守護する薬師如来で、女体は里に下り十一面観音となるとある。当社は古来十一面観音像を御神体として奉安してきたのである。慶應四年神仏分離令が発せられると、全国各地で神社内の仏教関係遺品が破却された。当地の先人は古来三宮神社の御神体として奉安してきた十一面観音像を秘仏として密かに遺し、今日に伝えたのである。昭和六十年秋の関越高速自動車道開通に伴い、当社境内地の一部も道路編入の止むなきにいたり、この機会に氏子一同相計り、社殿および境内の整備につとめ、由緒ある当社の由来を後世に伝えんとし石碑に刻んだ次第である。
境内由緒書より。原文はこちら。

延喜式神名帳に上野國群馬郡・伊加保神社と記載される、所謂式内社の論社となっています。(もう一つは渋川市伊香保町の伊香保神社
古い時代噴火を繰り返した榛名山は怒ッ穂(いかほ)と呼ばれ、怒れる神と信仰され、伊賀保大明神となったようです。現在の御祭神彦火々出見命・豊玉姫命・少彦名命は三宮神社の名称に合わせて明治に創作されたのでしょう。御神体の十一面観音も燃やされる事なく、無事に今日まで伝えられてきているのですから、御祭神も元に戻して良いのではないでしょうか。

神社入り口と参道

二の鳥居と社号標

(正徳6年(1716)丙申5月建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(当所石工 朝賀乙八 大正10年(1921)4月吉日建立)

拝殿と本殿

本殿と社額

神楽殿

石祠

石碑等

万葉歌碑「伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみし 時無かりけり」