羊神社

安中市中野谷(平成17年4月10日)

羊というもの珍しい名前につられて、行きつ戻りつあちこち探しまくって、やっと見つけた神社でした。由緒は分りませんが御祭神は確かに   『羊太夫藤原宗勝命』   という、今まで聞いた事もない神様でした。超特大の羊絵馬が社殿の横に掲げてあり、夫と「この神社、羊年には賑わうんでしょうね〜。でもあとの11年はどうしているのかしら?」分りづらく極小さな神社ですが周りの環境が良く気持ちの良い神社でした。

社殿に懸かっていた扁額

羊の超特大絵馬

神社遠景

入口と拝殿

本殿正面

その後、調べると富岡市観光協会のHPに以下の文が。

大島地区に伝わる伝説の火まつり〜

大島の火まつり (富岡市)
 盆の行事として毎年8月16日に大島の城山北面の山腹でおこなわれています。別名を「百八燈(ひゃくはっとう)」とも言い、もとは祖先の霊を迎え・送る行事です。この行事の由来は、この地大島には、和銅年間の城主羊太夫(ひつじだゆう)宗勝(藤原宗勝)の居城がありました。祖父より3代にわたり善政をしき、領民を良く治め信頼が厚かったが、謀反の疑いを受け、安芸の国(広島県)からの討伐軍に敗れ落城となります。時に養老5(西暦721年)年8月のことです。その後、大島の住民は、その徳を慕い盆の16日夜、城山に百八燈の文字を捧げて、城主の霊魂を祭るとともに住民の願いを込めるものと伝えられています。毎年、その年にちなんだ文字又は願い事をその場で決めて火文字にします。

さらに、鷺宮・咲前神社のHPに以下の由緒が

当社は多胡新田とも呼ばれる宇久保に鎮座し、創建の由来は多胡郡の多胡一族が上里見村真野(多胡神社鎮座)に落ち延び、その後延宝年間に下秋間字日向(堂宇鎮座)と当地へと移住すると共に、多胡新田を開発し、祖神とする多胡羊 太夫藤原宗勝公を祀り、享和2年(1802)正式に多胡羊霊を祀った。また縁記に『多胡羊太夫由来記』などが伝えられ、それに依れば、羊太夫宗勝は脇羽の生えた若者と権田栗毛という名馬を持ち、一日で都を行き来し参勤し、功により藤原姓も賜ったが 言で官軍に攻められ、最期は金色の蝶となり飛び去ったという。また羊太夫は、秩父で和銅を発見し、その功により多胡郡を賜り、記念に「多胡碑」を建てたとされ、境内にはその碑文の「多胡宮羊太夫宗勝神像位」碑がある。平成九年には、六十余軒の氏子により社殿、十二社を新築し、遷座祭を行い、翌年、狛犬と三峯社、同鳥居も建立された。祈祷棟札に大先達龍正院奉修護摩供と享保16年拾二社繁盛祈遷、明治16年の奉再拝、17太々神楽執行札がある。社紋は下り藤に五輪の塔。

ここの近く、群馬県吉井町に日本三古碑 のひとつとされる多胡碑(たごひ)が有ります。この多胡碑は「羊さま」と呼ばれ地元で崇められていたようです。ここの御祭神がその「羊さま」でしょうか。どうも朝敵であったらしい御祭神が明治に書き換えられ無かったのは、この神社が極目立たない処に有るので、明治政府も、うっかり見逃してしまったのかも知れません。

多胡碑については以下のサイトに詳しく解説されています。