伊津美鳥見神社

柏市泉1358 (平成22年2月22日)

東経140度3分2.24秒、北緯35度50分2.24秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
伊津美鳥見神社。地図上では伊津美神社となっており、本殿、拝殿の額にも伊津美神社とあり、鳥見の文字は無い。逆に千葉県神社名鑑には鳥見神社となっており伊津美の名前は見えない。創建等不明であるが「安政三年(1856年)六月廿四日 神部○○○○/神祇道管領長上三位卜部朝良○」の古文書を有している。
「白井市のご近所紹介」より。

鳥見神社は千葉県北西部に21社分布しているとのこと。鳥見神社の祭神は饒速日命、宇摩志麻治命、御炊屋姫命、伊津美神社は地名の「泉」から来ているのか、仔細は不明。

管理人の一言。
寡聞にして、鳥見神社の名称を聞くのは始めてでした。早速千葉県神社庁のサイトを覗きましたが、御祭神も由緒も記述がありません。 神社名鑑を開くと、印西市小林の鳥見(とみ)神社と本埜村中根の鳥見(のみ)神社しか記載がありません。どちらも御祭神は表記に違いはあるが、邇藝速日命・御炊屋姫命・宇麻志間見命となっています。この神社の御祭神も1948さんの云われる通りかと思われます。

ニギハヤヒノミコトは、日本神話に登場する神。『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記する。
『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。
『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

「白井市のご近所紹介」によれば、利根川、手賀沼、印旛沼に囲まれた辺りに、鳥見神社が21社、宗像神社は13社あると云う。邇藝速日命が天磐船に乗って天降った大和国にも「とみ」と付く地名は多い。奈良市鳥見町・富・北登美・登美ケ丘等。饒速日命の妻は「登美夜須毘売」。長髄彦の妹と云うが、天降った土地の神だったのだろうか。長髄彦も別名、「登美毘古」と云うようです。

嘗て、我々が参拝した、桜井市桜井の等彌(とみ)神社桜井市外山(とび)の宗像(むなかた)神社。どちらも鳥見山山麓に鎮座しております。古い時代、強い繋がりがあったようです。

「白井市のご近所紹介」で詳しく紹介されています。お薦めです。

神社入り口と神額

先代の前にいる、岡崎型狛犬。

(平成16年(2004)12月吉日建立)

可愛い江戸流れですが、残念ながら阿は損傷が激しく表情が読めません。

拝殿

本殿

八幡宮

見ておわかりの金精神、堂々と野外にあります。

石祠

石祠や石碑