窪八幡神社

山梨市北654 (令和5年4月6日)

東経138度41分35.03秒、北緯35度42分05.66秒に鎮座。

この神社は、山梨市役所北北東1.5km程の辺り、北の街中に鎮座しております。

この神社は今回の旅で夫が一番訪れたかった神社です。地図には単に『窪八幡神社』と有りますが正式には『大井俣窪八幡神社』といいます。木造の神殿狛犬が三対も居るそうで『まあ、見せてもらえたらラッキー、駄目元で行きましょう』と計画をたてたのでした。結果は・・社務所に神主さんが居らず、やはり拝見できませんでしたが、掲示板に写真が載っていて「あ〜、こんな子達なんだ〜、とまあ半分程度満足。」というのは、此処には狛犬のほかに重文に指定されている素晴らしい社殿が、ぞろぞろと建っていたのです。その社殿の見事さに大満足していたので、狛犬を見られない残念さが半減したのでした。
この神社は、笛吹き川を渡った県道31号線に面して入り口があります。入り口の両部大鳥居は、木造の鳥居としては最古の物だそうです。入り口には石橋が架かり、神門は桧皮葺の重々しい四脚門です。境内に一歩足を踏み入れると、直ぐ左には清々しい神池、一段高くなった境内の前には目玉ギョロギョロの可愛い参道狛犬が座っています。平屋造りの長大な拝殿は柱だけで支えているので、奥の金箔の壁画が描かれた本殿正面が良く見えます。本殿も開放的に直ぐ近くまで行く事が出来ました。ここは末社まで全て桧皮葺、滋賀県を訪れて以来、こんなに沢山の桧皮葺の社殿を見るのは久しぶりで、とても嬉しくなりました。

御祭神 誉田別尊・足仲彦尊・息長足姫尊

由緒
窪八幡神社は、『大井俣神社本記』(承応2年(1653)、当社蔵)によると、清和天皇の勅願によって貞観元年(859)に九州宇佐八幡宮が勧請されたのがはじまりと伝えられています。境内には、室町後期の神社建築が集中するほか、同時期の境内古絵図や鰐口・木造狛犬・三十六歌仙図など貴重な文化財が多く残されています。これは、永正13年(1516)及び大永元年(1521)の駿河侵攻による建物の焼失と、信虎・晴信(信玄)による戦国大名武田家の勢力拡大に伴う外護が要因となって、この時期に大規模な造営が行われたことによるものとみられています。
周辺には、戦国期の資料として名高い『王代記』が書かれた別当上之坊(八幡山普賢寺)跡地をはじめ県指定文化財の『木造阿弥陀三尊像』が安置される神宮寺、坊や社家といった神仏習合遺跡が残されています。。
境内由緒書き より。

一の鳥居

神社入口

参道

境内入口

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(紀元2600年 昭和15年(1940)11月3日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿

武内大神本殿


若宮神社拝殿

若宮神社本殿


比梼O神本殿

高良神社本殿

稲荷神社

如法経塔

松尾大神 白山大神
八剱大神 山王神社
大宮神社 久住大神

末社

天神社 青龍社

文化財の木造狛犬