豊功神社

下関市長府宮崎町4-1(平成20年7月29日)

東経130度59分50.41秒、北緯33度59分19.26秒に鎮座。

この神社は、9号線より豊浦高校の北側の道を東へ進むと正面左側に鎮座しております。周防灘に臨む景勝の地で日の出が有名なようです。

豊功(とよこと)神社由緒
豊功神社は 神話伝説の島として知られる満珠、干珠の二島を展望する絶景の此の地に鎮座する旧県社で、祭神は応神天皇・武内宿祢・穂田元清毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩公を祀る古くより櫛崎八幡宮の鎮座地であることが文書にも見えるが、慶長七年(1602)秀元公が当地に城を構えるにあたり、毛利氏の守護神、宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿に祀り、左に櫛崎八幡宮を遷し、右に高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称し、のちに松崎八幡宮と改称した。
天保五年(1834)毛利秀元の霊祠に豊功大明神の称号が許され、慶応二年(1866)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊功神社と名づけられ 明治十年豊功神社と改称。
大正六年松崎神社と合祀し此の地に移遷 昭和四十四年火災により社殿焼失、仮社殿のまま今日に至る。
昭和五十七年八月より境内の環境整備を進め境内社大黒神社、串崎稲荷社、秋葉社を建立。
海側一帯を展望台小公園として、その景観を提供元旦は初日の出を拝む人々で賑わい、野外活動の場として知られつつある。付近には史蹟も多く、櫛崎城跡・毛利藩校(現豊浦高校)毛利水軍々船修理ドック跡など歴史の町長府の古いおもかげを偲ぶことができる。

神社入り口と社号標

参道

参道の狛犬。拡大写真はこちら。

(安政6年(1859)8月吉日建立)

拝殿

拝殿内部と本殿

龍宮神社

龍宮神社由来
豊浦の海は、古来龍宮界との窓口になっている海域として知られています。神功皇后様もこの海で住吉三神から潮満、潮干二宝珠を授かり大陸から凱旋しました。それが眼前の満珠、干珠の二神島です。当社は、その龍宮のお使いである龍の御神徳を仰ぎ千年前より地元を始め遠近の人々に奉斎されております。正に豊功神社境内は龍宮に向って開かれた神域として、龍神の水徳発揚の聖域と申せましょう。どうぞお参り下さい。例祭日七月五日

境内の末社

七福神社。左手後ろが満珠、干珠の二神島。

左手前が干珠島、後ろが満珠島。

神功皇后が新羅出兵の際、龍神から潮の満ち干を自在に出来る珠を借り、凱旋の後海中に返すと、この二つの島になったという。