諏訪明神社

伊都郡かつらぎ町兄井(平成18年3月26日)

 この神社は地図には兄井八幡宮と記載されていますが、社号標は諏訪明神社と鎌八幡宮が建っていました。社地も150mほど東に移動されているように思いました。
 社殿も諏訪明神社は立派な建物がありましたが、鎌八幡宮は見あたりません。境内の隅に壊れた社殿が有ったので是が八幡宮の物で、『もう諏訪明神社に合祀されてしまい社殿そのものは無いのだろう。』とその時は納得して帰ってきましたが、帰ってから調べると、鎌八幡宮とはイチイガシの大木をご神木とし、祈願成就のため鎌を打ち込んだことからこの名があるそうで、祈願成就のときは鎌が幹に食い込んでいきますが、不成就のときは脱け落ちると伝承されているそうで、明治42年にこの兄井の地から本来の社地である三谷にある丹生酒殿神社裏手に遷座した模様です。ここは旧地だったわけです。
 この鎌八幡宮の由来は承和2年(835)に奥之院で永遠の定に入られた弘法大師の事を知った屏風ヶ浦の八幡神が、大師との約束によって神器である旗と熊手(長鈎)などを空飛ぶ白龍にして高野山へと向かわせました。その時、神器の旗が紀ノ川南岸の三谷の里(一説に山崎村凉の森とも)にあった松梢(旗掛松)に引っかかったというのです。その場所には古来より丹生酒殿神社がありましたが、ある時、三谷地区で紀ノ川が氾濫し、旗が掛かったという伝承の松梢が流され、兄井地区で留まり、その場所にはいつの頃からか鎌八幡宮が祀られることとなったようです。
 ここで疑問。伝承では空飛ぶ白龍となった神器である旗が引っかかったのは松梢なのに、なぜイチイの木がご神木となったのか?多分、何か別の意味があることと思われますが、何方かお分かりになる方がいらしたら、お教えください。

二社の社号標 神社入り口
諏訪明神社遠景 諏訪明神社社殿
壊れた旧社殿 鎌八幡宮旧地(イチイのご神木)