長田神社
鳥取市東町1-103 (平成21年8月1日)
東経134度14分34.89秒、北緯35度30分10.04秒に鎮座。
この神社は鳥取西高校のすぐ西に鎮座しています。一の鳥居が建つ参道入口は神社の手前約180mほどにあり、社頭には大きな燈籠、社号標、鳥居、狛犬などが奉納されています。参道には鳥取県送出の昭和19年満蒙開拓青少年義勇軍黄金子訓練生の50周年記念「黄金子の碑」があり、石橋の架かった神池を過ぎると石段の上に大きな屋根の四脚門がたち、ここからが境内となります。
大きな鎮守の杜に囲まれ、清々しい境内の中央奥には入母屋造りの拝殿と、板塀の中に本殿が建立されています。又、境内には樹齢約300年の大ケヤキが大きく枝を伸ばし元気な姿を見せています。
御祭神:事代主神、猿田彦神、誉田別尊、菅原道真命
由緒:この社は初め鳥取市久松山に鎮座し、古くは長田大明神と称し、同市の産土神として崇敬されていました。
天文14年(1545)因幡国布勢城主・山名誠通が久松山に初めて築城した際、この社を城外の東南の山麓に奉遷し、これを第二の鎮座地として以来この谷を御宮谷と称しています。その後谷奥に上水池を三ヶ所築造したので水樋戸谷とも称しました。
天正9年(1581)10月に羽柴秀吉が鳥取城を攻略、この社に戦勝の祈願をしたと古事論に見え、又鳥取城主だった山名豊定及び豊国吉川経家宮部継潤の諸将などがこの社を鎮守の神と仰いで篤い崇敬の念を持っていました。
旧藩政御櫓日記寛保2年(1742)正月22日の条に、「覚、前々数度書付を以て申上候通り、長田大明神往古御城内(久松城)鎮座の節は、社頭も大社にて年中数度の祭礼神事も御座候処、天正の兵乱以後中絶仕云々」と記されています。
(「神々の坐ます国」参照)
参道の様子 |
黄金子の碑 |
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神橋 |
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神橋から見る神池左右の様子 鳥除けでしょうか、池の表には糸のような物が張ってあります。 |
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境内に建つ社殿 |
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御神木・大ケヤキ 樹齢:約300年、樹高・30m、幹回り・4.4m |

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