妖怪神社

境港市大正町62-1(平成21年7月30日)

東経133度13分42.09秒、北緯35度32分33.83秒に鎮座。

 この神社は境港駅から水木しげるロードを東に250m程行くと左手に鎮座しています。境港は以前は海運・漁業の町だったのですが、現在は「水木しげる・ゲゲゲの鬼太郎」一色に塗りつぶされ、参拝客も親子連れが殆どで、町の散策のついでに立ち寄って、この神社の遊び心を楽しんでいるようでした。
 神社入口には一反木綿をデザインした木製の鳥居が建ち、左右には水木しげるさん自筆の社号標と、水の力で回る手水「目玉おやじ清めの水」があります。境内には黒御影石と樹齢300年の欅の板で構成された御神体、目玉石、壁一杯の「妖怪念力棒」、ユニークな絵馬など、楽しみながら妖怪達と仲良くなれる工夫が一杯…。
 普通の神社で感じる神々しさや静謐は感じられませんが、楽しみながらの癒しの空間…とは言えるのではないでしょうか?

 御祭神:美穂津姫命
 祭礼日:1月1日・初詣、1月8日・カニ感謝祭、3月3日・妖怪ひな祭り(〜14日)、4月8日・むじゃら展(8月27日まで)、8月1日・霊在月大祭(8月末まで)、8月20日・妖怪そっくりコンテスト、8月27日・下駄飛ばし大会、9月1日・妖怪川柳募集(9月20日まで)、11月11日・ゲゲゲのゲタ積み大会、12月31日・護摩法要、なおらい、12月31日・年越しイベント
 由緒妖怪神社縁起
 地獄図絵妖怪神社の御祭神は美穂津姫命です。この美穂津姫命は、「出雲国風土記」の嶋根郡美保郷の条に「美保」の地名の由来として登場する他、「記紀」にも全く登場せず、謎の神とされておりますが、出雲の大国主神とも深い関わりのある、当地の重要祭神であります。

妖怪神社伝承
 雄略天皇陵妖怪神社が初めて歴史に登場するのは、今を溯ること1600年前、雄略天皇の治世にまで溯ることができます。言い伝えによると、朝鮮半島外交の政策転換を図った雄略帝が百済へ勅使を派遣する際、護国祈願のため妖怪神社に玉と鏡を奉納したとあります。

妖怪神社御神体
 御神体妖怪神社の御神体は、黄泉の国の三霊山の一つ須弥山(しゅみせん)の麓にある洞窟より産み落とされた岩の塊が八つに砕け散り、恐山、淡路島、石垣島、国後島、屋久島、青木ヶ原、谷川岳、夜見(黄泉)ヶ浜にそれぞれ辿り着きました。この夜見(黄泉)ヶ浜に辿り着いたものが当神社の御神体となったものです。
 御神体御神体の現在地表に出ている部分は、全体のごく一部であり、大部分は地中深く埋まったままとなっております。最深部がどこまで及んでいるのかは、現在の調査でもわかっていません。

目玉石
 目玉石御神体が夜見(黄泉)ヶ浜に辿り着いた時、天空より一筋の白光が龍のように躍り来て、夜見ヶ浜の村人を御神体まで導いたと言われています。
三徳山開山の折、この地を訪れた「役行者」が霊験を感じ祈祷すると、不思議なことに御神体から一片の岩が音も無く剥れ落ちたと言います。それがこの目玉石と言われています。
祈りながら撫でると眼病に効くといわれております。

妖怪神社御神体についての本当のお話
 御神体妖怪神社の御神体は、当社建立の折に漫画家水木しげる氏自らが入魂した御神体です。高さ3mと2.5mの黒御影石と樹齢300年の欅(けやき)の板で構成されています。水木氏は御神体を設置するにあたり、御神体の一部分を指し、「ここに目玉をつけると面白い。」と語りました。
 目玉石御神体を設置する際、不思議なことにその水木氏が指した部分がポロリと剥がれ落ち、この「目玉石」となりました。「妖怪神社伝承」に登場する「役行者」は、実は水木氏本人だったのです。

「妖怪神社公式サイト」より)

社頭
神社入口
一反木綿をデザインした木製の鳥居
水木しげるさん
自筆の社号標
水の力で回る手水・水木しげるさん命名の「目玉おやじ清めの水」
御影石製の茶わん(直径60cm)の中で、重さ約70kgの目玉おやじが噴水の力で浮き上がり、くるくると回る仕掛けです。
境内の様子
御神体
この御神体は、建立の折に水木しげるさん自らが入魂されました。高さ3mと2.5mの黒御影石と樹齢300年の欅の板で構成されています。写真の方もこの御神体に触れ、霊界からの摩訶不思議なパワーを戴いていました。
御神体の目玉石
水木しげるさんが「御神体の石に目玉をつけたら良い」と言われた場所が、御神体を設置する際にポロリと剥がれ落ち、この「目玉石」となったのだそうです。
境内の壁にずらりと並んだ「妖怪念力棒」
ユニークな絵馬
町中に溢れる「ゲゲゲの鬼太郎」グッズ
水木しげるロードには現在133体の妖怪ブロンズ像が置かれています。その他様々な鬼太郎グッズがあり、中でも4種類の妖怪汁の缶詰はどんな中身が入っているのか興味津々、買って帰りましたが…お味は? ご自分でお試し下さい。