壹宮神社

西伯郡大山町上万1124(平成21年7月29日)

東経133度26分42.51秒、北緯35度28分9.9秒に鎮座。

 この神社は242号線に面して鎮座しています。鳥居と社号標が建つ入口の奥に、めおと綯いの注連縄が架けられた随神門が建ち、境内正面奥に拝殿、本殿が建立されています。拝殿内には藁で造られた馬のような物が二対置かれ、境内には産石と、この地域では比較的珍しいのではないかと思われる双体道祖神がありました。

 御祭神:天忍穂耳命、下照姫命、瓊々杵命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、大己貴命、倉稲魂命、罔象女命、菅原道真、天照大御神、稚日女命、少名彦命、素盞鳴尊
 祭礼日:4月21日
 境内社:庄田社
 由緒:創立年月は不詳ですが、郡中の古社で、古来「一宮大明神」と号し、往昔より神田が寄付され、元和寛永の頃に至っても旧格に準じた崇敬を受けてきました。
 社伝によると、一ノ宮と称する由来は「天照大御神の命により天忍穂耳命が天降らんとしていた時、皇孫瓊々杵命が御誕生された事により、古く一ノ宮と称した。」と、古老の口碑に伝わります。
 往古神祠創設の始まりは、この地の開拓が始まった頃と同時期で、人々は迎尊して一ノ宮と号したと言うことです。社殿はこの地域では最も秀抜な造りでしたが、建久以降尼子氏の兵火に罹り神器古証書等多く焼失してしまいました。
 旧藩中時代には特別な崇敬を受け、社殿営繕の費用は該郡に賦課することとし、維新前まで続きました。
 明治元年10月神社改正の際、大明神の号を廃し壹宮神社と改称し、同5年3月郷社に列せられました。明治40年2月3日神饌幣帛料供進神社に指定されています。
 大正5年5月17日高麗村大字平田字村屋敷の村社・津守神社(表筒男命、中筒男命、底筒男命)、同村大字上萬字宮前の無格社・上萬神社(大己貴命、倉稲魂命、罔象女命、菅原道真 )、同村大字妻木字山根の無格社・富岡神社(天照大御神、稚日女命、少名彦命)、所子村大字野田字上村屋敷の無格社・野田神社(素盞鳴命)、同村大字清原字村屋敷の無格社・清原神社(素盞鳴命)、高麗村大字荘田字上ノ田の無格社・庄田神社(大己貴命)を合併しています。

社頭 一の明神鳥居 社号標
随神門
境内の様子
参道脇にいる建立年代不明の出雲構え獅子
双方阿で、異なる年代の狛犬を組み合わせて、無理矢理一対として置かれているようです。
拝殿
拝殿内の様子
拝殿内に置かれているこの二対の馬のような物は何なんでしょう?
本殿
すくね塚
すくね塚を護る建立年代不明の出雲構え獅子
境内社:庄田社
入口に置かれた社額と社殿
  
庄田社を護る小さめの建立年代不明の出雲構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
産石 道祖神