町田市相原町1743 (令和7年7月12日)
東経139度19分49.95秒、北緯35度36分14.07秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR横浜線・相原駅の東400m程の辺り、相原町の街中に鎮座しております。
御祭神 建御名方命・他五柱神
由緒
養和元年(1181)3月23日別当高岳坊長温が氏子と共に信州(長野県)下諏訪大社を丸山の地に勧請し相原山大明神と称した。
元和元年(1615)山火事のため社殿焼失し、元和3年(1617)高岳坊長厳(現宮司中村家)により再建される。
寛文7年(1667)に三反歩の除地、又寛文11年(1671)の検地の際、社領一石五斗を受けた。
享和2年(1802)に再建した。明治44年(1911)七国の神社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社、中相原御嶽神社を合祀し、大正2年(1913)境山王社、橋本稲荷社、陽田疱瘡社を合祀した。
大正15年(1926)旧社殿を解体して現本社覆殿拝殿を完成、拝殿は建坪11坪25、三方外廊下入母屋作りで同時に神楽殿、礼堂も出来たが、昭和41年(1966)の伊勢湾台風で倒壊してしまった。
昭和51年(1976)より氏子会を結成しこの会費を以て神社の運営を行い、昭和55年(1980)には氏子を始め崇敬者の方々の浄財により社務所が完成した。
大祭には丸山獅子保存会による市指定の獅子舞、下相原連合囃子連、中相原囃子連によるお囃子の奉納がある。
境内由緒書き より。
社号標と神社入口
参道
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(慶応4年(1868)戊辰7月吉日建立)
拝殿側より見る獅子山
神額
「夕焼小焼」歌碑