諏訪神社

台東区駒形1-4-15 (平成23年5月18日)

東経139度47分52.52秒、北緯35度42分13.74秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
都営浅草線「浅草駅」 徒歩3分、都営大江戸線「蔵前駅」 徒歩5分、バンダイ本社の隣に鎮座しています。なぜかグーグルマップには掲載されていません(江戸時代の地図には掲載されています)。この地に鎮座して300年以上、駒込の鎮守です。

御祭神 健御名方神(たけみなかたのかみ)・八坂刀売神(やさかとめのかみ)
御由緒縁起
当社の創祀は定かなことを知る事は出来ませんが口碑によりますと「後冷泉天皇の御世である」と云われ、又一説には「承久の乱(1221)の後信濃国諏訪郡小日村の神主が諏訪大社の御分霊を当地に奉斎したのに始まる」とも云われております。
諏訪信仰が関東に広まるのは鎌倉時代の中ころと考えられています。つまり、その当時、諏訪大社は鎌倉幕府から箱根権現や伊豆山権現あるいは三島大社とともに特別の尊崇を受けていました。
それというのも諏訪上社の大祝家は、源頼朝の旗上げに最初から協力し、祈祷の効を積んでいたからです。したがって、頼朝も諏訪大社を「武家守護之神」(吾妻鏡)として崇敬いたしました。
その後、時の執権となった北条氏は、信濃国の守護職となり、諏訪郡を得宗領とし、諏訪上社の神主を特に得宗被官といたしました。このように北条氏の支援によって諏訪大社の数多くの御分社が関東諸国に広まっていったものとおもわれます。
執権北条氏は、支配する所領地に諏訪上社の御分社を奉斎するとともに、得宗被官である諏訪上社の神主を招き神事、祭事を執り行していました。
そのようなことで、「当社は、諏訪上社と同種の諏訪梶の御神紋を使用し、天正年間には神官が数代にわたって奉仕して来た。」と社史は伝えています。
鎌倉中期、北条氏の力添えによって創祀された当社は数代の神主奉仕のあと、浅草寺の十二衆徒の一院であった修善院が別当として、当社に奉仕きたと考えられます。
当社のしおり 御由緒縁起 より抜粋

神社全景

鳥居

手水舎 末社
社殿縁側の神殿狛犬。拡大写真はこちら。
年代は不明なようですが、結構古そうな江戸尾立。1700年代後半でしょうか。

神社&バンダイ

バンダイ本社

江戸名所図会に描かれる諏訪明神社

御朱印