野見宿禰(のみのすくね)神社

墨田区亀沢2-8-10 (平成22年9月2日)

東経139度48分16.3秒、北緯35度41分37.4秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR総武線及び都営地下鉄大江戸線両国駅徒歩15分および5分ほどの所に鎮座しています。

四十五代横綱初代若乃花の花田勝治さんの死去から一夜明けた2日に参拝しました。歴代横綱の石碑の「花田勝治」の銘はまだ朱に塗られたままでした。

かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。明治十八年(1885)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。
石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。
境内には、昭和二十七年(1953)に相撲協会によって建てられた歴代横綱碑があり、その一基には、初代の明石志賀之助から四十六代朝潮太郎までの名前が、もう一基には四十七代柏戸剛以降の名前が刻まれています。
ぶらり両国街かど展実行委員会。原文はこちら。

野見宿禰神社は、相撲の始祖とされる野見宿禰を祀る神社。兵庫県たつの市と東京都墨田区に同名の神社がある。
日本相撲協会が管理している相撲神社。
年3回の東京場所の取組編成会議終了後に、日本相撲協会執行部と審判部幹部、各一門の審判委員や、相撲茶屋関係者などが集まって例大祭を行っている。祭典を取り仕切っているのは出雲大社教の神職。
なお、新横綱が誕生した場合には、この社殿の軒先で土俵入りを披露するのが慣例となっている。境内には歴代横綱碑などもある
ウィキペディアより

私は朝潮のファンでした。勿論3代目、第46代横綱です。当時は小学校の校庭で相撲を取る風景は普通に見られました。

管理人の一言。
今の若い人には多分解らないだろうが、昭和30年代当時街頭テレビと云うものがあり、それで若乃花と栃錦の相撲を良く見たものです。(我が幼少の砌)。しかし、東京にも野見宿禰を祀った神社があるとは知りませんでした。野見宿禰と云えば、垂仁天皇の時代當麻蹴速と力比べ、宿禰は蹴速の腰を踏み折って勝ち、これにより相撲の始祖となった、出雲の国の勇士であります。そのせいでしょうか、神社本庁でなく、出雲大社教の神職が祭を執り行っているようです。
土俵の鬼と言われた横綱若乃花。場違いなサイトではありますが、謹んで弔辞といたします。

桜井市穴師の相撲神社桜井市出雲の十二柱神社も御参考までに。

神社入口。玉垣の親柱は「大日本相撲協會」。

手水舎

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

裏より見る本殿


稲荷神社


歴代横綱の石碑