雉子(きじ)神社

品川区東五反田1-2-33 (平成23年4月1日)

東経139度43分48.46秒、北緯35度37分32.17秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR山手線(都営浅草線)五反田駅より徒歩5分、桜田通りに面してビルの一階に鎮座しています。拝殿、本殿の上は建物はありませんが、逆コの字でビルが建っています。境内は昼でも薄暗く、いい雰囲気をだしています。

御祭神 主神:日本武尊 配神:天手力雄命、大山祗命

御由緒
「雉子丿宮」の名で親しまれている古い神社(文明年間=1469〜87の創建と思われる)で、かつて上・下大崎村、ややま谷山村の鎮守。
江戸時代までは「大鳥大明神」と呼ばれていた。三代将軍徳川家光が鷹狩りをしていたとき、1羽の白いキジがこの神社に逃げ込んで見えなくなったことから、家光が神社の名を「雉子丿宮」と呼ぶよう命じたと伝えられる。
昔は境内にカエデが多く、紅葉の季節には多くの参詣人があったといわれる。平成6年(1994)に境内に大きなビルが建ち、社殿はその1階部分に改築された。
しながわ観光協会資料 より

当社鎮座の起源は古く、御社号は元荏原宮、文明年中には大鳥明神、山神社とも称して居りましたが、慶長年間に徳川三代将軍家光公が鷹狩りの折に、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを稀な目出度いしるしであるとして、雉子宮と名付けられて、江戸の社寺名所にその名を連ね、明治維新に雉子神社と改められて現在に及んでいます。当社は武蔵国荏原郡上大崎村、下大崎村、谷山村、永峰町、六軒茶屋町、現在の品川区上大崎、東五反田の全域と、両五反田一、二、三丁目一圓の氏神鎮守であります。神域は昔から現在の処で、社前の中原街道(國道一号線)が明治三十八年以来三度横幅改修されて、次第に狭隘となりました。明治以前は白雉山宝塔寺が別当職でありました。明治五年村社と定められ、明治四十三年上大崎村に鎮座の三島神社を合祀して現在に及んでいます。
境内由緒書より。

鳥居

入口の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(元治元年(1864)甲子9月吉祥日建立)

境内

拝殿

拝殿の屋根の雉

拝殿内の狛犬

本殿


境内末社・三柱神社


御神木

脇参道

遠景

入口に咲く桜