熊野(ゆや)神社

港区芝公園4-7-35 (平成29年2月11日)

東経139度45分11.66秒、北緯35度39分16.24秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
私はJR「浜松町」駅より歩きました (徒歩10数分の距離)。途中に都営大江戸線「大門」駅があります。徳川将軍家墓所、増上寺宝物展示室も見学(共に有料)しました。

御祭神 熊野本宮大社 家津御子大神 (ケツミコノオオカミ)
     熊野那智大社 大己貴命 (オオナムラノミコト)
     熊野速玉大社 伊弉諾尊 (イザナギノミコト)

御由緒
元和10(1624)年、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したものです。『熊野』は「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼称がありますが、当山では「ユヤ」権現として親しまれています。
増上寺>境内散歩>熊野神社 より

境内図や由緒書き等はこちら。

御朱印

三解脱門

大殿(だいでん)。東京タワー、昔と比べ (展望台が黄赤から白へ、外観の様子もかわり)おしゃれになりましたね。

神社入口

手水舎

社殿

振り返って

境内石碑

三本足の烏[八咫烏(やたがらす)]
『神々のお使い』日本書紀によると
神武天皇が天下統治のため紀の国(和歌山県)の熊野に上陸した際に、東征中の荒れすさぶる中で道に迷った時、日輪の中の天照大神より「天から八咫烏を使わそう。その八咫烏が道案内をするであろう。八咫烏の飛びゆく後ろに付いて行きなさい。」というおさとしがありました。そうして無事山越えを出来たという、まさに神のお導きという言い伝えが残されています。

『 日輪の中に三本足の烏』
ルーツは中国で、太陽の中に三本足の烏が住む(おそらく黒点であろう)と考えられ、太陽は烏によって空を運ばれるとも考えられていました。烏の足を三本とするのは、二本足は陰数の為、陽の数である『三』こそが太陽にふさわしいと考えられます。日本に於いても、三本足の烏が太陽の象徴であると伝わったと推測されます。また時代によっては、『地・仁・勇』或いは『天・地・人』を表すとも言われています。日の神、天照大神の子孫である天皇が三本足の烏と八咫烏が習合し、熊野の烏も三本になったものと考えら
れます。

『シンボルマーク』
天皇の即位の礼に立てられるのぼりの紋様には八咫烏が使われたそうですし、また天皇の礼服の紋章には、日輪の中に八咫烏の刺繍が施されているそうです。
すなはち 日本サッカー協会のシンボルマークとして用いられております。日本サッカーの成長と勝利への導きを願っております。
私共大本山増上寺みこし講も、昭和四十九年に発足当時より八咫烏を代紋とさせて頂いております。お祭りの御神輿を通じて、結集した四百余名が大本山増上寺より護国豊穣、天下泰平を導いて頂きたいと祈願しております。
このたび、みこし講発足三十年を記念して、熊野神社(境内)修復改修工事をさせて頂きました。今回の工事の際にみこし講の大柱の前に、この水舎に向かって三箇所の烏の足跡 (保存有)が付いていたという縁起のよい事がありました。
当熊野神社にも本物の八咫烏がいると信じてみこし講一同も八咫烏のお導きを頂いてより高い志をもって、一層の努力を心掛けてまいります。
皆様のご多幸とご発展をお祈りいたします。
大本山増上寺熊野みこし講 世話人 益子良道

玉垣