香取神社

北区赤羽西2-22-7 (平成25年9月2日)

東経139度43分25.68秒、北緯35度46分04.83秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR「赤羽」駅より南へ徒歩10数分の所に鎮座しています。赤羽八幡神社の兼務社です。狛犬の一部が破損しているものがあり、残念。でも大切に保管されているのに氏子さんの優しさが伝わります。

香取神社公式サイトはこちら。

御祭神 経津主神、大山咋神、建御名方神

御由緒
香取神社は旧稲付村の鎮守社です。創建時期は不明ですが、伝説によれば奥殿の中に安置されている朱塗りの本殿は、かつて上野東照宮の内陣だった物で、三代将軍家光が霊夢を見たことにより慶安3年(1650)に稲付村に移築したものとされています。境内には北区内では珍しい「力石(ちからいし)」が7個奉納されています。力石というのは、昔、村の力自慢の若者たちがこれらの石を差し上げて競技したもので、稲付村では江戸時代後期から明治時代にかけて、農閑期に俵の代わりに石を持ち上げて力比べをしたそうです。
北区観光ホームページ > 北区のさんぽみち > 赤羽 ・十条エリア > 香取神社  より

香取神社本殿は、境内東側に位置する拝殿の後ろに設けられた本殿覆屋の中に安置されています。朱塗りの三間社流造で、屋根は杮葺きです。石の亀腹の上に土台が据えられ、その上に高さ約10尺、奥行約八・三尺の社殿が建てられています。香取神社は、経津主神 ・大山咋神 ・建御名方神を祭神としています。『新編武蔵風土紀稿』には「村の鎮守とす、長二尺六寸許の石を神体となせり」と記述され、旧稲付村の鎮守でした。稲付村は17世紀半ばの郷帳(『武蔵田園簿』)に「御神領」と記され、東叡山寛永寺領に属していました。また、当社とも関係の深い法真寺(赤羽西2丁目)の開山證道院日寿は、東照宮の造営のも深く関与した南光坊天海の弟だったとも言われています。このため、香取神社の本殿は、この近辺に暮らす人びとに、上野東照宮の本殿(内陣)を移築したものだと古くから信じられています。上野東照宮の本殿とは、徳川将軍家が東叡山寛永寺を造営いた際に藤堂高虎(津藩初代藩主)が建てたもので、その事業には徳川御三家が協力し、寛永四年(1627)に落成したことが知られています。
北区教育委員会案内板 より

神社入口

振り返って

関東大震災時台座より転げ落ちたのでしょか、お怪我が酷いようですがいまだ現役です。拡大写真はこちら。
(嘉永3年(1850)庚戌9月吉日建立)

社号標と鳥居

恐ろしげな顔つきの江戸流れ。拡大写真はこちら。
(嘉永5年(1852)壬子2月吉祥日建立)

手水舎

拝殿

拝殿屋根上の飛び狛
向拝竜と左右の木鼻

本殿覆屋


稲荷神社

左より榛名、古峯、御嶽、大山阿夫利神社

神楽殿

力石