渋江白髭神社

葛飾区東四つ木4-36-1 (平成26年6月30日)

東経139度50分36.64秒、北緯35度43分46.55秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
京成押上線「四ツ木」駅より東側、徒歩10分程の所に鎮座しています。

御祭神 猿田彦命・大己貴命・建御名方命

御由緒 葛飾区神社調査報告によると
当社は江戸時代に広く信奉された神社の一である。『新編武蔵風土記稿』渋江村の条に、白髭・八王子・客人権現合社 村ノ鎮守ナリ。客人権現ハ霊験アリトテ、近郷ノ諸人群詣セリ。文化年中、当社修理ノ時、社頭ノ地ヲ穿チシニ奇木ヲ得タリ。周廻一囲余、長一丈余ニテ、木口ヨリミレハ、其サマ鉄砂ヲ散セシ如ク、方面ヨリ見レハ、小針ノ如ニシテ、長ニ三分許ノモノ、堅ニ交レリナト云伝フレト、今ハヤヤ苔フリテ、果シテ伝ヘノ如ナルヤ否ヲ弁シカタシ。末社 稲荷 弁天。別当観正寺 天台宗江戸浅草浅草寺末、清宝山法生院ト号ス。本尊ハ観音。当寺ハ延徳3年(1491)ノ起立ニシテ、開山ヲ円覚ト云。中興快禅、元文4年(1739)12月寂ス。山王社 稲荷社 観音堂。とある。渋江の地名は古く応永5年(1398)の葛西御厨注文にも見え、別当寺の起立から考えても、古社と思われる。
この観正寺は明治2年に廃寺になっている。また敬順の『十万庵遊暦雑記』ニ編中には「渋江村客人権現の神体」と題し、文化12年(1815)頃の状況を記して同郡同村(葛飾郡渋江村)客人大権現といふは、西光寺の東南七町にあり。
別当を観正寺天台とて社の西に家居せり。社内又狭からす。社は南面して石の花表、太しく建。又八幡の宮は松山の中に東面して、社内の松の年たて屈伸の天然なる、閑寂として只野鳥の声のみ聞ふ。且神楽殿は東に建て西北に向、御洪水の井といふものは化粧側を吹溢れて、両花表の間にあり。権現の宮は僧坊より建つづきて、造作づづまやかに太さ二間半と覚ゆ。斯て社檀を覗みるに、護摩壇ありて常灯明の影ほがらかに、神前のささげもの夥しく、都鄙の男女こころごころに絵馬・桃灯の類若干奉納せしめ、客人大権現と書し堅額は新よし原松葉や粧書と見へたるは、いつ頃の粧にやあらん。又社の右には地形高く築き、社再建の絵図は二十一分一にしるせし様は、信仰の徒も多かる中に、売色の町々より殊に歩けはこぶと見えて、再建寄進の札は新よし原町の轡屋・千住・小塚原・大塚音羽町・深川常盤町・やぐら下なんどといふ端々の売色屋のものども、講をむすびて取持にぞありける。神体はいかなるものぞと尋ぬれば、伝えいふ、自然の男根石にして、その格好更に真物のごとくなる物を秘し崇めて、社に安置し崇むるなりとぞ。(中略)
と記し、花柳界の信仰のみが強調されているが、それのみでなかったっことは境内に遺存する金石文によって窺うことができる。客人権現は近江比叡山の 日吉神社を勧請したものであろう。安政3年(1856)刊の『江戸切絵図』にも「客人大権現社」と図示されている。現在の拝殿は嘉永5年(1853)の造営、本殿および高欄は大正5年9月の再建である。明治5年、社格制定の時、社号を 白髭神社と改めた。

創建年代は詳らかでないが、渋江の地名は応永元年(1398年)の「葛西御厨注文」に残る。江戸時代は葛西の客人大権現と称し、霊験あらたかな社として近郷の崇敬を集めた。嘉永元年(1848年)造営の社殿は平成五年(1993年)に瓦葺きから銅板葺に改められた。
東京都神社庁 より

入口

手水舎

茅の輪と拝殿

大祓 (おおはらえ)は、6月と12月の晦日(新暦では6月30 日と12月31日)に行われる除災行事である。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓 (なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓 (としこしのはらえ)という。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。なお、「夏越」は「名越」とも標記する。また、宮くぐり祭や輪くぐり祭とも呼ばれる。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うものである。
ウィキペディア より

拝殿前の渋い江戸流れ。拡大写真はこちら。
(安政3年(1856)丙辰9月吉辰日建立)
向拝の彫刻

扁額「白髭神社

木鼻の狛犬

奥殿

社名額「渋江神社」

舞殿


石碑「客人大権現」と道標2基

道標7基 葛飾・墨田両区内から移して保存したものである。
@「客人大権現 天保五年歳次甲午秋九月吉辰 本所一ツ 目弁天屋舗水茶屋中」
A「右 客人大権現道 文政五年壬午三月 日本橋北さや町裏河岸 岡本屋長右衛門 忰 清次郎」
B「右 客人大権現 文政五年壬午三月 京山人百樹 石工窪世祥 日本橋北さや町  岡本屋長右衛門 忰清次郎」
C「左 客人大権現 文政五年壬午二月 日本橋北さや町裏河岸」
D〜F 銘文同じ

道標3基「右 客人大権現道」

道標道標2と記念碑

南側入口