香取神社

葛飾区東水元2-40-1 (平成22年11月5日)

東経139度52分21.77秒、北緯35度46分47.06秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
水元公園、内溜(うちだめ)の東側に鎮座しています。北側直ぐに水元大橋があります。

御由緒
祭神として経津主命を斎る。当社は小合溜井の河畔にあり中世葛西御厨小鮎郷と称し伊勢、香取の神領地により当地宮司鈴木氏の遠祖は此の地にあって猿ヶ俣御厨在住の占部氏と共に香取神宮の貢税を掌どった所とも言える。
後小田原北条氏の勢力範囲となり、その家臣遠山丹波守の所領となって自然御厨の地域の廃滅するに至った。
以来幾許もなく徳川の所領となると同時小合村の鎮守となる。
当社は当地鈴木家(現宮前町会)の内宮として香取神宮の御分霊を勧請し此地小合郷に奉斎したしたことが始まりと言う。宝永元年(1704)八月古利根川猿ヶ又堤防決壊による水害で古い記録を失い創立の由緒年代については明らかでないが社蔵の板碑に正慶二年(1333)文和四年(1355)のものがあり、葛西御厨当時小鮎郷と称して下総香取神宮の神領地関係から推察し鎌倉期にさかのぼると思われる。
創立以来社殿の再建が行われたが文政十一年(1828)十二月宮司鈴木大和正安治氏の時社殿造営が行われ、次いで昭和四年十月宮司鈴木一三氏の際再建された。
本殿は文政十一年の建造物で向拝付総檜造りである。
尚社殿に奉掲する「香取社」の社号扁額は勝海舟安房書になるもの、境内御手洗石は享保二十年(1725)九月氏子中によって奉納されたもの。
境内案内板 より

一の鳥居と社号標

参道

手水舎

参道の江戸流れ。拡大写真はこちら。

(石工 亀有村 森田常次郎 慶応2年(1866)丙寅11月建立)

石燈籠

(安政2年(1855)乙卯11月建立)

拝殿

拝殿正面

海舟安房拝書

本殿

日露戦争出征祈念の額

御神木

末社殿。左より天満宮・厳島神社・富士嶽神社・八幡神社・稲荷神社・道祖神社

神楽殿

水元大橋

人間を観察する鷺 道祖神