香取神社

江戸川区中央4-5-23 (平成22年11月5日)

東経139度52分11.49秒、北緯35度42分30.5秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR新小岩駅南口より平和橋通りを徒歩10分程のところ、親水公園の近くに鎮座しています。旧西小松川村の鎮守です。村に点在していた各神社は現在、土地整理のため当神社の境内に移転されています。伝、「小松菜」の名の発祥の地。

御祭神 經津主命(ふつぬしのみこと)

神社の由来
新小岩厄除(間々井)香取神社は、經津主命(ふつぬしのみこと)を祀り、元和三年(1617年)に再建された。
当時、当地には16軒の農家しかなく、その小松川16軒農家が当神社を創立したと言われています。神社の東を流れる小松川(現親水公園)は、下総・国府台真間(しもうさ・こうのだいまま)と武蔵江戸城を結ぶ重要な水路でしたが、伝説によれば長禄の頃、太田道灌持資(おおたどうかんもちすけ)が国府台控城に往来のとき、この神社に船を泊め、霊水を汲み、船路の安全を祈願したと伝えられています。
現在の本殿は、文政五年(1823年)、今より約180年前、五分一に住む宮大工八郎次(はちろうじ)が、用材を仕入れ、10年の歳月を経て、天保三年に完成された名建築物です。
香取神社公式サイト より。 境内由緒書はこちら。

香取神社(かとりじんじゃ)という名前の神社は、関東地方を中心として全国にある。これらは、香取神宮(千葉県香取市)の分社として創建されたもので、香取神宮と同じ経津主神を祀る。
香取神社は利根川・江戸川沿いを中心に分布する。南の荒川沿いには氷川神社、それらに挟まれる元荒川沿いには久伊豆神社が分布し、その分布圏は境界を侵すことなく分かれていることが西角井正慶により指摘されている。香取神社の分布圏は10世紀以降に開拓された、元は低湿地だった土地である。
ウィキペディア  より

入口

社号標と鳥居

手水舎と手水鉢 (享和元年(1801)辛酉9月吉日建立)

拝殿

間々井宮と書かれた神額
ここより東の市川も古くは真間と呼ばれたようです。
この辺りもふるくは間々と呼ばれたのでしょうか。

本殿

神楽

左右の脇障子

鷲神社
大鳥神社とも称し、祭神は『ヤマトタケルノミコト』です。例年11月酉日に『新小岩のおとり様』と多くの信者に親しまれて盛大なお祭が行われます。境内では、福熊手(かっこめ)の授与があり、参拝者の家々の隆盛、商売繁盛をお守り致します。酉祭の末日には、伝統の暮目の舜神楽が奉納され福御縁の授与が行われます。
境内由緒書より。

水神社
昔より現在の松島3丁目26番に永くお祀りされておりました。土地の整理の為、昭和35年に当神社境内に移転となりました。

稲荷神社
昔は今の松島3丁目27番にお祀りされて居りましたが、土地整理の為、境内に移転となりました。

水神社
昔より現在の松島3丁目26番に永くお祀りされておりました。土地の整理の為、昭和35年に当神社境内に移転となりました。

大雷神。大雷神の由来はこちら。


小松菜産土神


享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をするときの食事をする場所として、当道灌島香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けた。しかし、これといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。それ以来、当社の祭事には必ず小松菜を神前に供えて氏子永代の反映を祈願しています。
文化元年(1804)の「成形図説」には、「小松川地方で産する菜は、茎円くしてすこし青く味旨し」とあり、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、「菘 東葛西領小松川辺の産を佳品とす。世に小松菘と称せり」と記されています。
味のよい優れた菜類として江戸の人々に喜ばれた小松菜は江戸川区の特産野菜となりました。
江戸川区農業協同組合。原文はこちら。

管理人の一言。
関東地方以外にお住まいの方には馴染みがない野菜なのかも知れません。しかし我が家では、何故か理由は不明ですが、正月三が日の雑煮は小松菜と里芋と決まっており、我が愚息などは正月の食事の方が貧乏くさいと、ほざいております。


親水公園