八幡神社

下都賀郡野木町友沼(平成18年7月26日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、国道4号線を宇都宮方面に向かい、友沼小入口の交差点角にあります。狛犬は、かなり傷んだ寛政7年と昭和5年でした。拝殿には、河岸の様子を描いた絵馬が架かっていました。この神社は、徳川将軍が日光社参の際、小休止する場所だったと説明板に書いてあります。社前に享保14年に奉納された水盤ありました。徳川将軍も、この水盤を見たかもしれません。

 この神社は歴代の徳川将軍の日光参詣のおり、2泊目の古河城を出発して最初に休憩した場所で、境内には西運庵と呼ばれる休所が準備されていました。その工程は岩槻、古河、宇都宮に各1泊する3泊4日が恒例となっていて、それにともない昼食・休憩の宿や神社なども決まっていたそうです。自由気ままな旅をしている私達とは違い、当時の最高権力者であった将軍様も、随分不自由な生活を強いられていたのですね〜。
 ところで野木町教育委員会の「将軍御休所跡」案内にも、ウェブ上にも、この神社そのものの創建由緒は記されていません。ここ下都賀の地にはいつ頃勧請されたのかは分かりませんが、一般的に八幡神社は大分県宇佐市の宇佐八幡宮を総本宮とし、八幡神・誉田別命を祀る神社で、本来は水の神、日(火)の神(鍛冶の神)、母子神でした。それが、 鎌倉時代に源氏が氏神として以降、武神・軍神としての性格を強め、武士が守護神として信仰するようになり、全国的に八幡神社が創建されるようになりました。

神社入口 享保14年(1729)奉納の水盤
寛政7年(1795)生まれの狛犬。
石が脆いのか、台座から落ちて損傷したのか、酷い欠け方と剥落の仕方ですが、
在りし日を想像すると、佐野市岩崎町・八幡宮(年代不明)の狛犬とよく似ている様に思います。


(寛政7年(1795)建立)
昭和5年生まれですが、完璧江戸狛犬です。
阿は玉取、吽は座り込んだ子狛を連れた子取です。
江戸末期から明治時代にかけての、江戸狛犬全盛期に造られたような素晴らしい作品です。
(昭和5年建立)
社殿の様子
拝殿 流造本殿
拝殿の木鼻、狛犬と象 河岸の様子を描いた絵馬
「工事落成之図」
多数の末社
「将軍御休所跡」
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