穴不動

芳賀郡芳賀町西高橋(平成20年10月3日)

東経140度0分43.9秒、北緯36度29分16.77秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、石末真岡線(156号線)を北上、芳賀町に入ってすぐ左折して進んだ西高橋地区にあります。前方後円墳の後円部にある小さな神社でした。狛犬は居りません。安産祈願で訪れる人が居るそうです。正徳3年の念仏供養塔がありました。なぜか、「念仏供塔」になっています。いかにも素人が彫った感じで、これはこれでいいと思いました。

 本町最南端に築造されている前方後円墳である。
 この地は、五行川・野元川の沖積低地にのぞむ宝積寺段丘の東端で、標高約九十米、比高は約五米から六米のところにある。
 本古墳はほぼ南面していて全長約三十米であるが、かなりひどく破壊されてしまい、後円部の河原石を積み重ねた横穴式石室が露呈してしまっている。
 現在はここに不動明王像を祭ってある。この像は、石室の一部に造立した高さ一.四五米の堂々たる石仏であり、造立年代は不詳であるがこの地の人々は古くから安産の仏として崇拝し、穴不動様と呼んでいる。
 近郷近在より訪れた人々は、既にここに奉納されている剣を借り、無事安産すると借りてきた剣と一緒に奉納してきたと言う。現在でも新しい剣が奉納されているのが見受けられるので参拝者は後をたつことなく、その風習が残っている。
芳賀町教育委員会

真岡市に近い、鬼怒川の東側に広がる北関東平野の中、元前方後円墳の石室に鎮座しております。西高橋台地中峰(なかみね)古墳群の最南端で、古くから開けた土地であったと思われます。

問題はお不動様は神様か?。普通真言密教系のお寺に祀られる仏だが、手元の昭文社県別マップルでは不動神社となっています。多分クマちゃん通信員の地図も神社で記載されていると思われます。ちず丸も神社になっています。ま〜明治迄は一体であった筈ですからどちらでも良いのでしょうか。

神社入り口と社額

不動明王堂。後円部石室前に建っているようです。

不動明王像

インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王です。嘗て、煩悩をかかえ、救いがたい衆生をも救う仏であったが、ここでは安産の仏様として崇拝されているようです。後ろに並ぶ剣が庶民の安産祈願を物語っています。寺は破壊されたか、移転させられたが、庶民の信仰がこの不動を護ってきたのではないでしょうか。

大黒様のように見えます。

すっかり剥き出しになった石室 念仏供塔