星宮神社

足利市梁田町(平成17年10月27日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
手前の狛犬、年代は書いてありません。もう一方の狛犬ですが、3枚目の写真、石組みの裏側に年代が記載されているのですが、狛犬のものかどうかはっきりしません。文化財に指定されている本殿も外からでは、窺うことが出来ませんでした。
余談になりますが、ここ梁田は、例幣使街道の宿場街でした。戊辰の役では、旧幕臣と政府軍との戦いがあり、多くの民家が焼けたということです。

この神社は東武伊勢崎線・福井駅の東約2.4km、渡良瀬川南岸の田園地帯に鎮座している模様です。境内の案内によると創建、縁起は、不詳とのことですが、ここも星の神・天香香背男命を祀る栃木県内 184社の中の一社と思われます。熊さんも書いていらっしゃいますがここ梁田町は、慶応4年(1868)3月9日、足利地方における明治維新の幕開けとなった、又、東日本最初の戦いという梁田の役が行われ、総督古屋佐久左衛門が率いる幕府軍約900余名が凄惨な白兵戦の末に、戦死又は敗退した歴史的な地でもあります。

(明治25年1月又は大正2年1月建立)

神社全景

拝殿

境内手前の耳垂れ炎尾狛犬。吽は角付きです。顔が大きくふくよかなせいか、精悍と云うよりも愛嬌たっぷりの狛犬さんです。奥のものよりも年齢はお若いと思われます。鬣の先が三角で垂れているのが、白雪姫の七人のこびとの服のように見えました。

とても珍しい獅子山です。こんな形状のものは今まで見たことがありませんでした。獅子山の上に建つ六角柱には『玉串』と書いてあり、裏には明治25年1月建立とあります。獅子山の石組みには大正2年1月献之とあり、狛犬さんはそのどちらの時期に建立されたのか、初めての経験なので、皆目見当が付きません。夫は、明治25年1月に玉串の塔が建てられ、その後大正2年1月、山が作られたときに狛犬も奉納されたのではないか?と考えているようです。

文化財指定・本殿の覆い屋

末社と境界石の
郡石(こおりせき)碑