大岩神社

吉川市下内川802 (令和3年3月26日)

東経139度51分46.15秒、北緯35度55分18.42秒に鎮座。

この神社は、吉川市役所の北4km程の辺り、下内川の街中に鎮座しております。

御祭神 伊弉冉命

由緒
当社大岩神社の鎮座地の下内川は現在の江戸川西岸の低地に位置する水田地帯で、古くは(約350年以前までは)上内川と一村をなしていました。即ち太日川流域に出現した庄内古川の西岸の自然堤防上に形成された集落で内川村と称し、正保4年(1647)の検地により上内川と下内川に分村されました。
新編風土記稿(徳川幕府の編纂刊行)には、如体(女体)社五、天神社二、計七社と記録されるも、字大荷(おゝかつぎ)、岩高(いわたか)、字内沼(うちぬま)、字東宮(ひがしのみや)、字西宮(にしのみや)、字大熊(おおくま)の各字に女体社、字大熊(おおくま)と字沼端(ぬまはた)に天神神社があり、更に大熊(おおくま)には稲荷大明神があり、計八社が時の内務省令の神社合祀令により即ち下内川集落地内の全神社が合祀、大岩神社が創建されました。
大正元年(1912)12月21日、神職鈴木重昶(しげあき)の先導により合祀祭が執行され、10日後の30日に社殿(現大岩神社社殿)の落慶祈祷祭がいとも盛大に挙行された。
現在内陣には、合祀の際に納められた奉斎札の外に「本宮女體大神」「稲荷大神」の二枚の古札(こふだ)、共に天和3年癸亥(1683)3月21日遷座とある。この二枚の奉斎札は、合祀されたいずれの字の本宮様なるかは不明である。神社明細帳(県庁)には、伊弉冉命女体社、菅原様天神社、保食命稲荷社の三神が当社の祭神として記載されていますが、合祀の際の大荷の本宮が女体社なれば、氏子全員が大岩神社を女体様と呼称するようになり、祭神は伊弉冉命として認知されるに至りました。
神社社名も鎮座地が昔は「岩高(いわだか)」という呼称があり、まずは岩をとり、大は語源からして美称のたとえなれば上に置き、大岩神社と命名されたものです。
境内由緒書き より。

神社入口

鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和9年(1934)3月9日建立)

拝殿内部

本殿覆屋