さいたま市西区二ツ宮586 (令和7年1月7日)
東経139度35分01.34秒、北緯35度53分40.96秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、JR川越線・西大宮駅の南2km程の辺り、二ツ宮児童公園内に鎮座しております。
御祭神 素盞鳴尊
由緒
二ツ宮の地名は『風土記稿』に「昔より氷川・八幡の二社並びたる地なれば村名とすといへり」とある。村の北東部には、古荒川によってつくられた自然堤防があり、ここに当社を含む古くからの集落が形成されている。慶安2-3年(1649-50)の『田園簿』にその村名が見えることから、既に江戸初期には開発されていたことがわかる。村名の由来が語る通り、現在当社は八幡神社と並んで祀られているが、口碑に「元は八幡様のほうが今よりもやや北西(現在の馬宮中学校の西側辺り)に祀られていて、いつの頃か現在地に移された」とある。いずれにしても氷川・八幡の両社が並んでいたことに変わりはなく、江戸初期には既にこの二社が祀られていたものであろう。
当社は『風土記稿』に「氷川社 神体は径り二尺許の鏡を置、村の鎮守なり(中略)御手洗池 広さ五畝程、いかなる久旱にも、水涸ることなしと云ふ」と記されている。これに見える御手洗池は今の当社東側の児童公園とゲートボール場の辺りにあった池で「氷川様の池」と呼び親しまれ、この辺りの耕地を潤す貴重な水源とされていた。
別当については『風土記稿』に「宝蔵寺の持」とあるものの、貞享2年(1685)と天明7年(1787)の本殿造立を伝える社蔵の棟札には「別当一乗院見佳本明」と見える。当社は神仏分離を経て、明治6年に村社となった。
二ッ宮氷川神社と八幡神社
二ッ宮村の村名の由来は、氷川神社と八幡神社の二社が並び鎮座しているところから名付けられたといいます。
氷川神社の御祭神は須佐之男命で、4月14日の春祭りにはお神楽を奉納、7月14日の夏祭りには神輿の御渡や山車の曵き廻しが行われ、村一番の賑わいを見せます。
八幡神社の御祭神は応仁天皇、脇祭神として神宮皇后を祀っています。9月15日は例祭で奉納相撲があります。現在は子供相撲大会、月見踊り等が行われますが、明治の終わり頃には島渡川という力士がでて、イギリスからの招待を受け遠征したほどですので、盛大な祭りであったようです。
境内には三峰神社、御嶽神社、天神社、第六天社、牛頭天王社、阿夫利神社、笠間稲荷社が合祀されています。また神社の東側には児童公園とゲートボール場が整備され、四季を通じて利用されています。
境内由緒書き より。
神社入口と社号標
一の鳥居
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和9年(1934)2月建立)
拝殿
天神社
八雲神社
第六天社・稲荷神社
笠間稲荷社
参宮記念碑