避来矢(ひらいし)神社

羽生市上村君191(平成19年2月19日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、今泉館林線を北上、道路から左に少し入った上村君地区にあります。嘉永4年の狛犬が迎えてくれました。阿は顔の部分が剥落しており痛々しいです。本殿の後ろには、石が祀られていました。神社に伝わる獅子舞は、市の文化財に指定されています。神社の名前が珍しいですが、栃木県佐野市の唐沢神社に重文の「避来矢の鎧(金具のみ)」が伝わっていて、同じ名前なので関係があるのかもしれません。

 御祭神:藤原秀郷公
 例祭:7月14日に近い日曜日
 由緒:上村君村の鎮守社で、伝承によると天文年中(1532〜1554)に下野栃木村から大きな「石」が飛来し、その石を崇拝し奉斎したのが創祀ということです。現在も本殿の裏側に祀られている「甲石」がその石と言われ、かつては「飛来石神社」と言っていましたが、享保11年(1726)神祗伯・吉田家へ神位を申請したおり「避来矢神社」と改称しました。館林城主・松平左近将監公もこの「甲石」を見に来たと伝えられています。(クニの部屋 -北武蔵の風土記参照)
 火山の噴火時ならいざ知らず、何もないのに石が飛んできたのも奇っ怪な出来事ですが、天文年中(1532〜1554)に下野栃木村から大きな「石」が飛んできたのと、遥か昔の英雄である藤原秀郷公とを関係づけた伝承が面白いですね。本家の佐野市の唐沢神社には鎧が残り、こちらには甲(石)が飛んできたわけですね〜。それだけ秀郷公人気が強かったわけなのでしょうか?
 又、市文化財に指定されているささらの起源は、元亀・天正の頃(1570〜1591)、羽生城救援に出陣した上杉謙信が、 将兵の士気を鼓舞するため上野国よりささら舞師を招き、この社に奉納したのが起源、という伝承があるそうです。(詳しくは下記案内写真にてどうぞ)

神社入口 鳥居の額「避来矢神社」
嘉永4年(1851)生まれの、技巧的で逞しい体つきをしているけれど、何処か老獪な感じもする江戸流れ。
阿の身には何が起こったのでしょう、顔の半分以上が欠けていますね〜。
(嘉永4年(1851)5月吉日建立)
拝殿 本殿覆い屋
本殿の裏側に祀られる
この社の名称の由来となった「甲石」
境内社・天神宮
境内社・富士山
末社
中央は小御嶽・石尊大権現 食崎身禄
右・浅間宮
末社群