四阿屋(あずまや)神社

鳥栖市牛原町河内1440-1 (平成23年8月5日)

東経130度28分53.99秒、北緯33度23分18.94秒に鎮座。

この神社は長崎自動車道・山浦PAの北北西約750m、戦国武将筑紫氏の拠点、城山の勝尾城へ向かう山道に沿って鎮座しています。
駐車場は河内川対岸にあり、夏休み期間は四阿屋河川プールの管理の方達が境内で子供達を見守っています。河内川対岸にはこの社のお旅所が設えられ、そこから河内川に降る石段参道を下っていくと石橋から上流に白糸の滝のような綺麗な水の流れを見る事ができます。河内川河畔には末社が一社祀られており、石段を上がると境内入口に鳥居が建立されています。境内右手には手水舎と社務所が配され、中央のかなり高い石垣の上に狛犬が護る社殿が建立されています。
拝殿の目貫彫刻には巨大魚と波が彫刻され、拝殿内には天井絵が描かれており、又、本殿前には石像の随神さんが置かれ、妻には波や雲などの彫刻が施されています。
境内に流れる河内川の渓流はまさに天然のプール、鎮守の杜には樹齢600年を超すクスの木をはじめ、イチイガシ、サワラ、コバンモチなどの巨木が聳え立ち、夏とは思えない程の涼しく心地良い木陰を造り、心から参拝の喜びが感じられる素晴らしい神社でした。

御祭神:日本武尊、大山祇尊、住吉大明神、志賀大明神、豊受大神
祭礼日:祈年祭・2月25日、例祭・4月1日 神幸式、新嘗祭・11月25日、大祓・6月30日 12月31日、小祭・毎月1日15日
境内社:一社
由緒:景行天皇筑紫御巡狩の際狭山の里に行在せられ 後 日本武尊熊襲御征伐の時も亦此地に御駐輦ありたれば 行宮即ち仮宮の義を取り 四阿屋の里と稲す 斯る由緒の地なれば 里人相謀りて此地の産土神として 紀元1322年天智天皇元年(662)2月15日尾張國熱田神宮より御分霊を勧請し 四阿屋宮と称す 後 住吉明神志賀明神を併祀し 最近また山神社(大山祇尊)田代神社(豊受大神)を合祀す(境内案内より)

四阿屋神社は旧養父郡の惣社で、縁起によれば、天智天皇元年(662年)熱田神宮の分霊を勧請創建したものと伝えられる。日本武尊、住吉大神、志賀大神が祭神として祀られています。
境内には樹齢六百年の大楠が天を衝くようにそびえ 他にイチノガシ(同三百年)・サワラ(同二百五十年)・コバンモチ(同二百五十年)などがこんもりとした神社の杜をつくっています。
四阿屋神社の神幸祭は かって養父郡内の村々によってにぎやかに執り行われていましたが、現在は牛原の「獅子舞」 蔵上の「御田舞」などの他、最近復活された 宿の「鉦浮立」が残っています。
(鳥栖市教育委員会)
付、現在は蔵上町の老松神社で10月20日前後の日曜日に演じられているようです。



河内川対岸から見る神社遠景
河内川対岸にあるお旅所
お旅所から河内川に降る石段参道
河内川に掛かる参道橋
参道橋から見た河内川と神社へ上がる石段参道
河内川河畔に祀られる末社
河内川から神社へと上がる石段参道
境内入口へと続く石段
境内入口に立つ明神鳥居
境内の様子
社殿の建つ上の境内へと続く石段参道
石段参道途中に聳える樹齢600年超のご神木・大楠
上の境内入口
上の境内入口にいる天保7年生まれの狛犬
筑後型と呼ばれる豪快な狛犬で、鬣の彫りが深く、扇状の尾をしていて、前片足を少し引いています。平歯で波打つ口蓋が目立つ点が浪速とも共通しているように思います。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保7年(1836)建立)
拝殿
中央・波間に巨魚と左右・波の拝殿目貫彫刻
木鼻・獏
拝殿にかかる額 拝殿内の様子
拝殿天井絵
本殿
本殿正面
本殿妻彫刻
社殿全景
拝殿前から入口を振り返る

「勝尾城筑紫氏遺跡」案内はこちら