鰐(王仁わに)神社

神埼市神崎町志波屋(平成23年8月6日)

東経130度22分56秒、北緯33度20分3.11秒に鎮座。

 この神社は吉野ヶ里歴史公園北西約1.2km、「もてなし館」東に鎮座しています。最近は韓国からの参拝者も多いようで、道路にしっかりと標識が立っています。
 入口には「鰐大明神」と彫られた額が掛かる、元禄12年(1696)造立の肥前鳥居が立ち、境内へと上がる石段には綺麗な花鉢が置かれています。境内正面奥に建立されている入母屋造りの拝殿は開放的で、その奥に石祠が二社殿建立されています。向かって左が熊野社、右が鰐大明神で、もともとこの地には熊野社が鎮座していましたが、西北にあった鰐神社が洪水で破壊したため、鰐神社のご神体が熊野社に預けられ、二柱が祀られる現在の姿に落ち着いたようです。
 又、境内には天満宮、實盛宮、乙宮、王仁天満宮等の境内社が祀られていますが、この「王仁天満宮」から、飛鳥・奈良文化の礎を築いたといわれている「王仁博士」という存在が浮かび上がり、韓国からのお客様も見えるようになった様です。
 境内の清掃整備が行き届き、周囲や石段に色取り取りの花が咲き、氏子さん達の崇敬神が見事に感じられる神社でした。

 御祭神:鰐大明神、熊野三神
 祭礼日:春祭・4月、夏祭・8月
 境内社:天満宮、實盛宮、乙宮、王仁天満宮
 由緒:この神社の創建は古く定かではないが、正面の鳥居は元禄12年(1696)に氏子三村から寄進されたものです。
 御祭神として鰐大明神と熊野三社が祭られているところから渡海者の安全を祈願されたものと思われますが、さらに、当社には王仁天満宮と刻まれた小さな石碑が祭られています。
 王仁というのは今から千数百年前に応神天皇に招かれて百済から多くの技術者集団をつれて渡来され、日本に初めて漢字の手本である「千字文」と儒教の原点である「論語」を伝えられた王仁博士ではないかと思われます。
 王仁博士の一行は朝鮮半島の南西端にある木浦の港から渡海されたと言われているが、日本のどこに上陸されたかは記録もなく不明です。…後略…。

社頭
入口に立つ元禄12年(1696)造立の肥前鳥居 鳥居に掛かる額「鰐大明神」
参道の様子
境内入口
境内の様子
拝殿
本殿全景
向かって左・熊野社、右・鰐大明神
熊野社石祠と石祠内の熊野三神像、肥前狛犬
鰐大明神石祠、肥前狛犬
本殿を護る可愛い肥前狛犬
おかっぱ頭で、殆ど線書きの様な目とヌボ〜ッとした顔。やや曲げて踏ん張っている前足、投げ出したような無造作な後ろ足、丸めた背中、何処をとっても“可愛い〜!”としか言いようがない子達です。
狛犬の拡大写真はこちらで
表彰碑 石碑
天満宮、鰐大明神額 石碑?
實盛宮 乙宮
王仁天満宮