草苅神社

佐渡市羽茂本郷1698(平成19年4月29日)

 この神社は81号線で羽茂本郷地区に入ると、羽茂川右岸に鎮座しています。社号標の建つ入口からは明るい下の境内が全て見渡せ、左手には藁葺きの優雅な佇まいの能舞台が拝見できるのですが、生憎現在は屋根の修理中なのか青いビニールシートが被せられ景観を損ねていました。鳥居を潜ると参道は鬱蒼とした木々の中を上がる階段となり、上の境内には上がってすぐに、全容がカメラの被写範囲に収まらないほど大きな拝殿が建っています。その拝殿後にはこれまた大きな妻入りの本殿が堂々とした姿を見せています。旧村社というには余りにも壮大な感じの神社です。

 御祭神:須佐之男神、天之忍穂日神、天之穂日神、天津日子根神、活津日子根神、熊野久須毘神、多紀理毘売命、狭依毘売神
 例祭日:6月15日、祈年祭・3月初午日、新嘗祭・11月28日
 由緒:創建は不詳ですが、一説に弘仁2年(811)又は天慶5年(942)の説があります。始め神殿は石祠だったようで、その屋根石と伝えられている方二尺ほどの石が、本殿床下に保存されています。羽茂の地頭本間對馬守の崇敬が篤く、羽茂郡中十六郷の総鎮守とし信仰を広めました。現在の本殿は天明2年(1782)に再建されたものです。昔は「牛頭天王八王子宮」、「祇園羽茂神社」とも称していましたが、明治3年に地名の草苅の里に因み現社名に改称しました。
 6月15日の例祭日に羽茂祭りの一環として行われる県重要無形文化財の「つぶろさし」は、五穀豊穣を願い神社に奉納される神楽の一種で、現在佐渡では4社が継承していますが、この地区では草刈神社、菅原神社の二社で舞われます。この社のメンバー構成は、つぶろさし(男根をかざして踊る舞人(愚鈍面)、ささらすり(性的に熟した女の腰振り、やるせない手先を表現する舞人(お多福))、赤鬼、青鬼(棍棒を振りかざして邪気を祓う舞人)の4名です。伝承では文禄の頃(1592〜1595)村山の藤七(榊原)が京都に上ったおり、祇園祭で見た岩戸神楽に感動して習得し、故郷に持ち帰ったと伝えられています。
 又その夜には、大崎地区の葛原五兵衛が江戸にわたり、仕手拍子を学んで伝えたといわれる薪能が、文久3年(1863)から連綿と受け継がれ上演されています。

社号標「村社 草苅神社」 境内の様子
参道に建つ胴製明神鳥居
この後参道は階段になります。
境内に咲く桜の花が満開でした。
拝殿前にいた年代不明の佐渡狛犬
台座が低く、かなり磨耗していて、表情や鬣などの造りに個性がみられるので、江戸時代の建立ではないかと私は考えています。一般的な佐渡狛犬とは異なり、顎髭が鋭く直線的に、身体にまとわりついてはいません。鼻から口蓋にかけての線が動物的で、顎髭は短く柔らかく頸の下に付けられています。尾も比較的小さく背中に張り付いています。
狛犬の拡大写真はこちらで
大きく荘厳な拝殿 本殿
拝殿内にいる木造(多分?)神殿狛犬
拝殿内には入れず、ガラス越しに遠くからみたので確信はありませんが、彫りの感じから木造なのではないかと思われます。阿は角を、吽は宝珠を付け、かなり装飾的な造りが綺麗に残っています。目がリアルで乗り出すように前屈みになり、しっかりと社殿内を護っている感じがします。