天王寺区夕陽丘町5-40(平成18年1月4日)
聖徳太子が建立したといわれる四天王寺の別院、別名「愛染さん」で親しまれている勝曼院の隣に鎮座しております。また入り口鳥居の左側に天王寺七坂の1つ「愛染坂」がある。神社境内西側は崖に成っていて急な石段の参道となっています。ビルが林立する以前は地名の通り夕日が美しかったのではなかろうか。江戸時代は四天王寺の乾(西北)にあたるところから、乾社と呼ばれ、毘沙門天を祀っていたので、毘沙門堂とも言われたようである。天王寺村には七つの小社があり、天王寺七宮と呼ばれ、乾社もその一つに数えられていた。
西側参道入り口 | 東側参道入り口 |
西側参道入り口にお住いの浪花狛犬。安政3年(1856)4月6日建立 | |
東側参道にお住いの浪花狛犬。宝暦10年(1760)6月吉日建立 | |
拝殿正面 | |
東側入り口に左の看板が立っていました。狛虎は日吉稲荷大明神の右に居られるようです。
吽はタイガース優勝の年に建立されたようです。この子のおかげでタイガースは優勝出来たのですね。
平成15年8月吉日建立 | 安政3年(1856)12月吉日 |
文化8年(1811)11月建立 | |
西側参道途中に「旧山口藩殉難諸士招魂之碑」が建っています。蛤御門の変で戦死された48人の英霊を祀った招魂社。ただし、第二次大戦後、神霊は靖国神社や霊山護国神社に合祀されたため現在は忘れ去られているのでしょうか。
かなり硬そうな石に見えますが、相当に破損して哀れな姿をさらしています。 | |