貝塚市中(平成18年1月3日)
この神社は南海本線・貝塚駅の北東200m、貝塚駅から東へ少し行き238号線へ出てすぐの所に鎮座しています。
感田神社HPによると、600年程前、小村であった旧貝塚市に村の発展のため神様をまつろうと、年寄衆が山城国愛宕郡八坂郷の感神院から須左之男大神を、伊勢より天照皇大神を、京都の北野より菅原道真公をお迎えして氏神としてお祭りしたのが始まりで、その頃は地名に因み「神田明神」、または社地が神田河原と称されていたため、神田河原大明神とも呼ばれていました。慶安元(1648)年からは宗福寺の一隅に陶器の社殿を再興し、河原を瓦に替えて神田瓦大明神と称しました。その後、岸和田藩主が神徳を感じて神領を寄進してからは「神」の字は「感」の字に改められ「感田瓦大明神」と唱えられることになり、宗福寺の住職が社僧となって奉仕してきました。
明治維新後は神仏分離により神職を置き、郷社となり、その後、海幸神社や無格社(八重事代主大神)等も合祀されました。
現存する神門は一見すると寺院の山門のようで、二階に回廊を巡らせた堂々とした建物です。境内に残る環濠跡は、かつて寺内町にめぐらされた濠の面影を残す唯一の遺構とされています。
毎年7月には、7台の太鼓台(ふとん太鼓)が担ぎ出され「べーラベーラべラショッショ」の掛け声にあわせて勇壮に市中を練り歩く、夏祭りが盛大に執り行われているようです。宵宮には氏子の家ごとに献灯やまん幕が張られ、翌日の本宮では神輿の渡御が行われます。ダンジリやヤグラが主流の泉州路では堺市を除いて太鼓台祭りが行われているのはここだけだそうです。