来鉢(くばち)神社

由布市挾間町来鉢1067 (平成28年9月23日)

東経131度30分36.87秒、北緯33度12分58.47秒に鎮座。

この神社は、市役所挾間庁舎の北2.5km程の辺り、挾間町来鉢の街外れに鎮座しております。

御祭神 武内宿祢命・金亀和尚・菅原道真公

由緒
抑々本社来鉢神社は、大分郡挾間町大字来鉢に鎮り給ひ、祭神は武内宿祢命・金亀和尚・菅原道真公の霊に坐せり。然而来鉢と称する地は、往昔蛙原と云ひ武内命を産土神と斎き奉りしが、人皇53代淳和天皇(786〜840)御宇・天長4年(827)10月比叡山延暦寺の名僧金亀和尚宇佐神宮へ詣で霊験を蒙る。依之朝廷に奏聞す。
54代仁明天皇(810〜 850)御宇承和3年(836)3月・右大臣清原夏野公に詔し、国司大江宇久に命じ、豊の柞原山に宝殿を経営す。是則ち柞原神社なり。又和尚に金亀和尚位を賜ふ。柞原神社々伝記及び豊後国誌にも記載あり。斯て56代清和天皇(850〜881)御宇貞観10年戊子(868)6月11日和尚に皈(帰)来せんとするや、壱個の鉄鉢を虚空に投じ、此落つる處我死後霊魂の安ずる所なりと、の玉ふ。此鉢即ち蛙原武内命の社地に落つ。然るに同11年己丑(869)金亀和尚の遷化せらるゝや柞原神社より特使を以て其霊を城院の相殿に合祀し、社号を和尚権現と改称し尋て蛙原の村名を来鉢村と改む。此縁故により爾来年々祭典には、柞原神社より社僧を派遣し参勤ありしなり。
偖て当社は和尚社と称し、府内7社の内其の一にして領主の尊崇不浅。殊に霊験著なる古社たる故、参拝人の絶ゆることなし。下って明治3年(1870)玉垂神社と 改め村社に列せられしが、明治25年(1892)来鉢神社と改称す。続いて大正15年(1926)7月31日、内務省14分社の第2号を以て郷社に列せられ、今日に至る。
嗚呼鉄鉢を投ずるの因縁亦奇瑞のことゝ云へし、恁る尊き産土神社に坐せば別て一層誠意を蓋し可尊。可敬なり。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

参道

参道途中の玉乗り狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和11年(1936)8月吉日建立)

神門

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和7年(1932)1月吉日建立)

拝殿内部

本殿


和尚様祠記念碑と和尚社