上青江神社

津久見市上青江3146 (平成26年3月30日)

東経131度50分17.00秒、北緯33度04分44.83秒に鎮座。

この神社は、東九州自動車道・津久見ICの西800m程の辺り、上青江の街中に鎮座しております。

御祭神 菅原道真・木花咲邪毘賣命・大物主命二柱・奥津日子命・奥津毘賣命・蛭子命

由緒
創建については未詳であるが、土地の伝説によれば寛永18年(1641)から延享4年(1747)までの100年余りの長期にわたって争われた臼杵藩(稲葉藩)と佐伯藩(毛利藩)との奥山争論(奥河内争議ともいう)に起因している。
この争いは結局、延享2年(1745)両領農民が幕府奉行所への公訴となり、幕府三奉行(寺社奉行、勧請奉行、町奉行)の裁許の結果杵臼側に有利な判決となって解決したが、その約10年前、元文年代(1736〜1740)青江道尾組大庄屋八代仲野作左衛門(明治3年(1870)〜1766年没)はこの争いの勝訴祈願のため伏見稲荷大明神を勧請して宇木戸口に稲荷社(祭神、宇気母智命一柱)を祀ったものが創建と伝えられている。以来250年間「道尾の稲荷様」と呼称され地区の人達に親しまれている。
明治6年(1873)に村社に列せられ同11年(1878)村内各所の神々を合併するに際して当時の上青江村「明治8年(1875)〜22年(1889)」の村名により社号を「上青江神社」と定め同13年(1880)現在地に社殿を新築し、同33年(1900)石造鳥居、唐獅子、石灯籠を建立し、昭和4年(1929)修築、更に昭和8年(1933)12月蔵富道路拡張新設に伴い同9年(1934)1月石垣、玉垣築造、25年、31年、60年とそれぞれ修改築して現在に至る。
殖産興業の守護神として、商売繁盛、豊作、開運出世、勝運の願掛けに霊験ありとして信仰が厚く、かつては下青江、津久見地区からの参詣人も多く、春秋祭典の際には青江川に露店が並び、特に地区対抗相撲大会は名物であった。
境内由緒書き より

参道入口

参道

境内

拝殿

拝殿前の浪花狛犬。拡大写真はこちら。
(明治33年(1900)4月吉日建立)

本殿


末社 石仏