広瀬神社

竹田市竹田2020 (平成28年9月23日)

東経131度23分57.27秒、北緯32度57分44.91秒に鎮座。

この神社は、JR豊肥本線・豊後竹田駅の南東800m程の辺り、竹田の街中に鎮座しております。

御祭神 広瀬武夫命

由緒
昭和10年に創建された当広瀬神社は、明治37,8年日露戦争で、旅順港閉塞作戦に参加し、部下杉野兵曹長の姿を探し求め、一塊の肉片を残して戦死した元海軍中佐広瀬武夫を祭り、また、当地出身の戦没者1627柱を合祀している。
勤王家の岡藩士に二男に生まれた広瀬武夫は単に勇猛武人であったのみでなく、当時ロシヤ研究家としても一流の人物であり、二千通にのぼる書簡、随想録等は文学的にも高く評価され、講道館に於けるエピソードと共に、人情に厚く高潔な人柄は、今なお万人の敬慕を集めている。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

参道

二の鳥居

神門

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿


広瀬中佐像

広瀬の乗艦であった戦艦朝日のカッター。旧海軍時代のものとしては貴重なものである(ただし1937年寄進のため、広瀬の勤務当時のものかどうかは不明。また寄進当時の朝日は特務艦)。
ウィキペディア より