丹生神社

大分市佐野56(平成20年7月24日)

東経131度43分39.92秒、北緯33度12分50.07秒に鎮座。

 この神社は丹生小学校の北東約400mに鎮座しています。神社入口は丹生川支流に架かる神橋にあり、一の鳥居を潜ると綺麗に刈り込まれた植木の間に参道が付けられています。境内は石垣の上にあり、二の鳥居真っ正面に千鳥破風・唐破風が付けられた大きな拝殿が建っています。その奥には粋な黒い透かし塀の中に幣拝殿と大きな流造りの本殿が建っています。本殿左には稲荷社が祀られ、境内右側に上がると金刀比羅社、祖母山社が、ご神体ではないかといわれている地名の起源とも言われている朱沙の原石と共に祀られていました。

 御祭神:罔象賣神、建岩龍命
 例祭日:歳旦祭・1月1日、祈念祭(春祭)・4月3日、金刀比羅社例祭(夏祭)・7月10日、祖母山社例祭・8月4日、例祭(作祭)・9月8日、神幸祭本祭・10月29直近日曜日、稲荷社例祭・神幸祭当日、新嘗祭(秋祭)・11月28日、古札焼納祭・12月31日、除夜祭・12月31日
 境内社:稲荷神社、金刀比羅社、祖母山社
 由緒:社伝によると、「白鳳時代文武天皇2年(698)朝廷に朱沙を献ずる。」とあり、水神・罔象賣神を佐野山(当時小宮現在観音堂)に祭祀し、以来丹生大明神と崇敬を受けてきました。その後鎌倉時代初期の建久7年(1196)大友氏が台風により難破寸前の所、丹生大明神の神威により難を逃れたとして社殿を造営しました。
 室町初期応永元年(1394)大友十代親世公は阿蘇大社の御祭神・建岩龍命を迎え一ノ宮(現宮河内阿蘇社)二ノ宮(現在地)三ノ宮を造営し、二ノ宮は丹生大明神と合祀したので、以来丹生二ノ宮大明神となり大友氏累代の崇敬はことのほか篤かったと言います。
 豊臣秀吉の時代、島津軍の進攻兵火にあい社殿を焼失しましたが、江戸初期慶長8年(1603)臼杵藩主・稲葉氏により社殿は修復され、寛文2年(1662)再興されました。
 境内には享保9年(1724)稲荷社を、天保5年(1785)金刀比羅社を建立しました。
 祖母山社は明治36年の建立で、拝殿より奥の建物は昭和5年、拝殿は昭和18年に改築されました。

神社遠景
一の鳥居 参道の様子
境内入口 境内の二の鳥居
拝殿前、建立年代不明の狛犬
まん丸目玉で顎が張り、体格良い全身に体毛の細い毛が彫り込んであります。吽にはほんのチョコンと小さな角が付いていますね。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
幣拝殿 本殿
境内社・金刀比羅社、祖母山社入口と社殿
原石・朱沙
境内社:稲荷社
稲荷社脇障子の彫刻 鷲と狛犬
神楽殿