萩原天満社

大分市萩原2(平成20年7月24日)

東経131度38分32.98秒、北緯33度14分36.16秒に鎮座。

 この神社は東大分小学校の北約300mに鎮座しています。県別地図には「住吉神社」と載っていますが、実際には入口正面に参道があり、神社の規模もずっと大きいので、私達は「萩原天満社」ということで載せました。
 境内は広く大木が聳える鎮守の杜が大切に保存されていました。氏子さん名が書かれた玉垣の奥に「萩原天満社」の鳥居が建ち、参道正面に拝殿と、彫刻が施された流造りの本殿が建立され、左手に神楽殿が建っています。
 境内中央には「住吉神社」の鳥居が建ち、奥に拝殿本殿が建立され、萩原天満社との間に神楽殿が建っています。
 同じく境内右端には「和霊社」の鳥居が建ち、奥に拝殿本殿が建立されています。
 感覚的には「和霊社」は境内社、「萩原天満社」と「住吉神社」は同格の神社という感じで、どちらの神社が代表社となってもおかしくない造りをしています。
 境内が広くまるで庭園といってもおかしくない造りだと思ったのも当然で、境内西側半分は文久3年に萩原の茶人月花坊探玄が造営、東側は大正の始め当時の区長が村内の庭木の寄進により造園したのだそうです。

 御祭神:菅原道真公、底筒男命、中筒男命、表筒男命、山家公頼
 例祭日:7月25日頃の土曜日
 由緒:萩原の天満宮は二つの御神霊を祀ってあります。
 一つは河内の国から康安元年(1361)にこの地に移った堤氏が、菅公の木造を供奉してきたもの。
 他の一つは応仁2年(1468)萩原房俊が都落ちをして十四代大友親隆の客分となり、萩原の海浜にとりでを築いて任した際に、村の守護神として新たに勧請して社殿を建立したものです。堤氏の供奉してきたほうは個人で祀っていましたが、社殿が出来た後、一緒にしたと伝えられています。
 明治28年、社殿改築した祭に、社殿に丸に七曜の紋が刻んであり、萩原氏が建立の際自分の家紋を刻み、代々伝わってきたものらしいという事です。

神社入口
鳥居の額には「天満宮」と書かれています。
萩原天満社入口 萩原天満社参道の様子
萩原天満社拝殿前の文久3年生まれの狛犬
阿は口中に玉を含み、垂れ耳で口蓋が付けられた浪速系ですが、尾の形が異なります。未だ余り数を見ていないので分かりかねますが、こういう特徴を持った狛犬が大分狛犬なのでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
(文久3年(1863)正月建立)
萩原天満社拝殿
萩原天満社本殿
萩原天満社本殿の木製神殿狛犬
類型的な神殿狛犬が多い中、この狛犬は規格からはみ出たような独特の雰囲気を持っています。阿は「咆吼」という表現がぴったりの口の開け方で前方を見据え、吽は穏やかな表情の中にも重厚な存在感をアピールしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
本殿妻の彫刻は龍です。
本殿木鼻 狛犬と象
本殿脇障子 獅子と鳳凰?
萩原天満社神楽殿
住吉神社
住吉神社入口
住吉神社拝殿
住吉神社本殿 住吉神社神楽殿
和霊社
和霊社入口
和霊社拝殿
和霊社本殿
境内の様子