城井(きい)神社

中津市二ノ丁 (平成26年3月28日)

東経131度11分19.02秒、北緯33度36分11.62秒に鎮座。

この神社は、中津城跡に鎮座しております。

御祭神 宇都宮鎮房

由緒
城井谷城主宇都宮家は信房より鎮房に至る16代、およそ400年の間豊前国守として徳政を布いた。天正15年(1587)5月豊臣秀吉は九州平定にあたり豊前6郡を黒田孝高に、2郡を毛利勝信に与え、鎮房には四国今治(12満石)移封の御証判を与えた。鎮房は累代の墳墓の地の安堵を願い、このご朱印状を返上したため、宇都宮一族は黒田孝高、長政と豊前の地で死闘を繰り返すこととなり、黒岩山合戦(峯合戦)では長政を敗退させた。
そこで秀吉は孝高と謀り所領安堵を条件として長政と鎮房の息女千代姫(鶴姫)との婚を約し和睦した。
天正16年(1588)4月20日鎮房は中津城に招かれ酒宴の席で謀殺された。天正19年(1591)長政は深く感ずる処があって城内守護紀府(城井)大明神として祀った。宝永2年(1705)小笠原長円は小社を建て、城井大権現として崇め、その後幾度かの変遷の後城井神社として改められた。
境内由緒書き より

全景

境内入口

拝殿