若宮八幡社

杵築市宮司336(平成20年7月26日)

東経131度36分50.31秒、北緯33度25分25.52秒に鎮座。

 この神社は大分自動車道・杵築ICの東約1.3km、金鷹山中腹に鎮座しています。一の鳥居から境内までが150mもある大きな神社で、二の鳥居を潜ると元禄6年(1693)に築かれた百段の石段が待っています。石段の終点には歴史を感じさせる宝暦11年(1761)造営の随神門が建ち、境内正面の拝殿は龍の鬼瓦や蛇腹などの煌びやかな瓦を組み合わせた、素晴らしい瓦屋根が葺かれています。本殿は三間社流造りで、拝殿右脇には杵築地方開発の始祖と仰がれている木付親重公を御祭神とした和漢将軍社が祀られていました。帰りがけ、神門からは眼下に杵築市街が良く見えました。

 御祭神:大鷦鷯命・莵道稚郎子・宇礼姫・久礼姫
 祭礼日:歳旦祭・1月1日、建国祭・2月11日、祈念祭・4月6日、仲秋祭・9月15日、七五三詣・11月15日、新嘗祭・11月23日、例大祭・12月3〜6日、除夜祭・12月31日
 境内社:和漢将軍社
 由緒:人皇第65代花山天皇の御宇、寛和元年(985)12月、従五位下紀兼貞朝臣(紀田家三十三代前の祖)が勅宣を奉じて、伝灯大法師(南都大安寺の行教和尚の直弟)とともに京都石清水若宮四所の御尊像を守護し、この豊後国速見津郡八坂郷に下向しました。下司村柏島に鎮座したのがその最初で、今を隔たる千二十二年の昔であります。
 元来、この八坂郷は、宇佐の神領に属していましたが、石清水八幡が京都御鎮座になるとともに、貞観の頃から石清水の神領となリました。けれど、土地は遠隔で、又、海路暴風とか海賊とかの災いもしばしばあり、貢物の輸送もなかなか意に任せられなかったのです。そこで宇多天皇の第九皇子の一品式部卿敦実親王が、この途中の平安と神領地の五穀豊穣を熱願されて、自ら八幡大神の若宮の尊像を白檀木に奉彫し、延喜14年(914)8月、仁和寺で開眼供養し、この社に四所の御尊像を奉遷したのです。
 その後天喜5年(1057) 3月、生地村岳に、承安3年(1173) 9月、中村に、嘉暦元年(1326)11月現社地(金鷹山の聖地)に遷座され、明治6年郷社に列し、大正10年には県社に列格しました。(「若宮八幡社公式サイト」より) 

神社入口 一の明神鳥居
入り口近くの参道にいる天保4年生まれの玉乗り狛犬
吽には角が付き、穏やかで整った狛犬です。玉の大きさが随分違いますね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保4年(1833)10月建立)
参道途中の二の台輪鳥居
石段前、文化10年生まれの狛犬
動物的な小顔で、鬣が厚いのか胸の肉が垂れ下がっているのか、まるで半袖の洋服を着ているような前足をしています。その前足は低い岩に乗っているような感じで突っ張り、後ろ足先はやけに長いですね。薄く立っている尾も鬣も殆ど線書きに近く、文化10年建立というのが信じられないほど素朴な造りです。でも個性的でオリジナリティーに富んでいるところが良いですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化10年(1813)8月建立)
石段途中の三の台輪鳥居 元禄6年(1693)に築かれた百段の石段
宝暦11年(1761)造営の随神門
拝殿
拝殿は龍の鬼瓦や蛇腹などの
煌びやかな瓦を組み合わせた、
素晴らしい瓦屋根で出来ています。
拝殿内の様子
本殿

和漢将軍社、拝殿と本殿
御祭神・木付親重公は、杵築地方開発の始祖と仰がれています。
社務所?神楽殿? ご神木

神門からは眼下に杵築市街が見えます。