八幡朝見神社

別府市朝見2-15-19(平成20年7月23日)

東経131度29分56.08秒、北緯33度16分6.84秒に鎮座。

 この神社は朝見病院西の小高い森の中に鎮座しています。
 一の鳥居・社号標が朝見川に架かる御幸橋の袂に建てられ、そこから一般道と併用の参道が約150m、二の鳥居から境内までが約100mと、かなり長い参道を持つ大きな神社です。
 境内入口の三の鳥居の後ろには、「門杉」と呼び親しまれ、この杉の間を二人で通ると結ばれるという言い伝えのある二本の大杉が、楼門の変わりのように聳えています。清水の舞台の様に造られた拝殿前の広場下には神事池や境内社が祀られ、拝殿本殿共に綺麗な彩色が施された豪華な造りです。その拝殿脇には樹齢1000年の大楠が社殿を覆うように聳えています。
 境内右手にある境内社を参拝しながら石段を下っていくと、裏参道入口広場には「萬太郎清水」という名の御神水を求めて、沢山の人が訪れていました。

 御祭神:誉田別命、気長足姫命、足仲彦命、大鷦鷯尊
 例祭日:1月1日・歳旦祭、1月14日・成人祭、2月1日・節分祭、2月11日・紀元節祭、3月15日・祈念祭、3月20日・祖霊祭、4月上旬・温泉祭、6月30日・大祓、8月上旬・夏越献灯祭、9月23日・祖霊祭、10月19日・例大祭、11月15日・七五三祭、11月23日・新嘗祭、12月31日・大祓
 境内社:福来稲荷神社、天満神社他
 由緒:別名を朝見八幡宮といい、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。
 建久7年(1196)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請しました。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建、または再建しました。当社はそのときに創建されたものと伝えられ、以降大友家の崇敬を受けてきました。
 創建の際、神輿の供をして着任した鶴岡八幡宮の神職・福田土佐守源高政が神主となり、以降高政の子孫が奉職し、姓を福田から神(こう)に改めて現在に至っています。当初は龍ヶ岡に社地があちましたが、鶴見嶽の噴火により社地が崩壊したため、正平3年(1348)に現在地に遷座しました。
 江戸時代には別府の総鎮守とされ、第二次大戦後、別府温泉の鎮守神である温泉神社を合祀しています。現在でも4月に行われる温泉祭の中心となり神事を執り行っています。

御幸橋の袂に建つ社号標
「縣社八幡朝見神社」
御幸橋の袂に建つ一の鳥居
一般道と併用の参道 参道に建つ二の鳥居
参道の様子 境内入口 三の鳥居
「門杉」
この杉の間を二人で通ると結ばれるという言い伝えのある二本の大杉が、楼門の変わりのように聳えています。
門杉と清水の舞台の様に造られた
拝殿前の広場下
建立年代不明の招魂社系狛犬
境内社:稲荷神社 境内社:稲荷神社
心字池
綺麗な彩色が施された豪華な造りの拝殿
綺麗な彩色が施された三間社流造りの本殿
本殿脇障子には仙人像と獅子の谷落としが彫られています。
県天然記念物ご神木・大楠(樹齢1000年)
境内左の大きな境内社
拝殿左脇に祀られた仏像 拝殿左脇の境内社
境内のお手水・御神水「萬太郎清水」
拝殿右脇の境内社 境内社 境内社:福来稲荷神社
境内社:天満神社 境内社
裏参道石段脇にいる昭和10年生まれの出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和10年(1935)6月建立)
御神水・萬太郎清水を求めて沢山の人がポリタンク持参で水汲みに来ていました。
裏参道入口に建つ鳥居 裏参道入口に建つ社号標