高倉神社

津山市下高倉西762 (平成26年7月20日)

この神社は、に鎮座しております。

御祭神 伊弉諾大神・伊弉冊大神・月読大神・月弓大神・素盞嗚大神・大己貴大神・稻田姫大神

由緒
本社は、明治40年(1907)5月20日に合祀されるまで、杉森神社と号した大宮であるて、美作112社の1つ高倉郷の大宮である。高倉の地は狭く水はけの悪い所であったが、昔より要衝の地であり、山名・赤松・尼子・毛利などが戦でしのぎを削った場所でもある。
本社の大神様が里の人々から崇敬されているのはもちろんであるが、鶴山城ができてからは城の鬼門に当たることから、嘉吉元年(1441)守護山名教清・守護代山名判官忠政に始まり、森忠政以後累代祭祀を奉献され、松平宣富は随神門を造営されるなど城主からも厚く崇敬されている。
また本殿脇には、高倉の大庄屋堀内三郎右衛門が松平藩を震撼させた元禄一揆(1698)で処刑された後、妻の傳が、残された二子の無事成長を祈願して奉納した一対の石灯籠があり、悪政に対する憤りを表すかのように立っている。
現在この高倉神社(元杉森神社)の本殿に合祀されているのは、嘉祥2年(849)創建の上高倉神社、岡隅神社と孝霊天皇の御代に紀州熊野神社より勧請された寄松神社、寛徳2年(1045)創建の二宮神社である。
平成9年(1997)には地区を挙げて大改修を行い、高倉住民の心意気と信仰の深さを示した。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

二の鳥居

参道

参道途中の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

本殿


若宮神社・提婆神社・鷺神社・稲荷神社・荒神社・金比羅神社・一宮猿神神社・熊野神社・妙見宮

祖霊社・薬祖宮・大河神社・滝神社・不明

御先宮 天神宮

裏参道入口

裏参道を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(平成9年(1997)10月吉日建立)

元禄一揆で処刑された、高倉の庄屋堀内三郎右衛門の妻、光井傳が奉納の燈籠。
(元禄13年(1700)奉納)