白加美(しらかみ)神社

津山市小田中254 (平成26年7月20日)

東経133度59分51.60秒、北緯35度03分46.00秒に鎮座。

この神社は、津山市役所の西南西1.3km程の辺り、市の中心部を外れた住宅地に鎮座しております。

御祭神 天照大神・正哉吾勝尊・瓊瓊杵尊・彦火及出見尊・鵜葺草葺不合尊・幸魂月夜見尊

縁起
人皇第44代元正天皇(奈良時代)の御宇当国戸川の宿の北の現在地に美しい五色の虹が輝き渡った。苫田縣主通憲が驚いて里人にその所を掘らしてところ数尺も掘らないうちに神代の霊物と思われる、とても美しい璽がでた。その時忽然としてひとりの老翁が現われ告げるには、我はこの月輪田原に居る神である。
この所に降居して久しいが、国人はまだこの地が霊地であることを知らない。汝を見るに心浄く性直で民を撫し、敬神の念篤く『我は汝の誠心に感じ入っている。汝はこの神璽を奉崇し神籬を営んで天照大神より鵜葺草葺不合尊に至る五神を奉祭すれば陰陽五行和合し、国土平安し国人安穏なるべし』そして忽ちその姿は見えなくなった。通憲はそのお告げを畏み、そして急いでこの由を朝廷に奏上した。朝廷ではこのことを議し、これは国中に無双の霊地であろう、速に神の教えの任に神籬を造営し、神璽を奉祭せよ、との勅命が下った。時に養老4年(720)であり、養老7年(723)3月19日に正遷宮が行われ、朝廷から30町歩を神田として賜った。爾来朝廷を尊崇し、往時は当国戸川宿で毎月六度の市があり、国人此地に会集し、財産を交易し、当日集市の人は悉く当社に詣で財貨土毛を奉じ、福を祈り禍を祓った。
その後森候入封の時社領は召し上げられ、慶長19年(1614)忠政候が280石の社領を寄進、寛永12年(1635)長継候から20石、元禄9年(1696)長成候から20石を寄進せられた。森家廃絶後は社領を召し上げられたが、松平家では封内八社として年々寄付米を奉納され明治に及んだ。現在の社殿は弘化年間(1844〜1847)の建造である。現社殿は総欅造り神明造り。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

参道両脇の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

随身門

随身様

拝殿

拝殿内部

本殿


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