鶴崎神社

都窪郡早島町早島2220(平成21年8月21日)

東経133度49分14.33秒、北緯34度35分47.18秒に鎮座。

 この神社は早島中学校南に鎮座しています。参道入り口は152号線沿いにあり注連柱と社号標が建っていますが、そこから150m程の真っ直ぐな参道が続きます。参道途中には立派な常夜灯があり、社頭石段脇にある社号標には「郷社鶴崎神社」と書かれています。
 随神門を入ると境内中央の石垣上では大きな拝殿の建立中でした。足場は取り外され境内手前に置いてあり、もう外装は出来上がったようで、大工さんが内装を制作中でしたが、鶴崎神社公式サイトを見ると平成21年10月17日(土)に社殿竣工奉祝祭が行われるようです。この拝殿は、双殿造りと呼ばれる2つの社を1つの拝殿で繋ぐ珍しい形式で、向かって左が八幡神社、右が鶴崎神社です。拝殿の裏に回るとそれぞれの本殿が建立されており、鶴崎神社本殿前には素晴らしい浪速狛犬が置かれていました。
 その他、境内最奥左の御霊神社から右端の稲荷神社まで、拝殿を挟んで境内左右には沢山の境内社が祀られています。どの社もとても綺麗に整備され、丁寧な祀られ方をされていました。
 又、この社には合計5対もの狛犬がおり、特に本殿前の狛犬はお薦めです。

 御祭神:大吉備津彦命荒魂
 祭礼日:年始祭・1月2日、春季大祭宵祭・5月第3日曜の前日、春季大祭(供膳祭)・5月第3日曜、夏祭(輪くぐり祭)・7月30日、秋季大祭(供膳祭)・10月第3日曜日の前日、秋季大祭神幸祭・10月第3日曜日、新穀感謝祭・11月23日、月次祭・毎月1日
 境内社:鹿島神社(武甕槌命)、稲荷神社(倉稲魂神)、金刀比羅神社(金山彦神)、神功皇后宮(息長足比賣命、大鷦鷯命、玉依毘賣命)、素盞嗚神社(素盞嗚命)、御霊神社
 飛び地境内神社:荒神社(火之迦具土神)【塩地】、稲荷神社(宇迦之御魂神)【無津】、若宮神社(若宮大神)【若宮】、鹿野四郎神社(鹿野四郎神)【無津】、厄神社(建速須佐之男命)【無津】、大藏神社(日本武命)【無津】、荒神社(火之迦具土神)【塩津】、荒神社(火之迦具土神)【市場】、荒神社(火之迦具土神)【市場】、荒神社(火之迦具土神)【市場】、荒神社(倉稲魂神)【西田】、河内神社(市杵島姫命)【早高】、天満宮(菅原道眞)【長津】、厳島神社(市杵島姫命)【弁才天】、船越神社(船越大神)【市場】、荒神社(火之迦具土神)【無津】、荒神社(火之迦具土神)【船本】、大藏神社(日本武命)【五日市】
 由緒:御祭神の大吉備津彦命は、第7代孝霊天皇の皇子。第10代崇神天皇の御代人々は神祇を敬って天下にようやく災害も無くなったが、遠国には未だ大和朝廷の命に従わないものが多くあった。そこで天皇即位の10年、天皇は皇族の中から4人の将軍を選んで北陸(大彦命)・東海 (武渟川別命)・西道(吉備津彦命)・丹波(丹波道主命)に派遣して天下を鎮定する事となった。
 命はその四道将軍の一人として西道(吉備国・現在の岡山県、兵庫県西部、広島県東部、香川県島嶼部)に下られ、当時の有力な強賊(豪族)蟹梟帥(カニタケル)を征伐して、この国を平定された。その後吉備国に永住し国の統治にあたり281歳の長寿を保ったとされる。
 当社は、貞和六年庚寅2月21日(1350・南北朝)に吉備津神社から吉備津彦命荒魂(丑寅御崎大明神)を勧請したのが創建とされ、その後元中元年(1384・南北朝)小社であった八幡神社(品陀和氣命)を再建し、現在の両社宮の形式となり御崎宮と称した。
 文禄2年(1593・安土桃山)宮崎城主高畠市正貞政、安原備中守の手によって両社改築。慶長八年(1603・江戸)安原和泉守が八幡神社を再建。享保 4年(1719・江戸)両社再建。同11年神祇官領にて御崎宮神階正一位に昇進。明治初年に社名を鶴崎神社と改める。
 明治4年社格制度により郷社に列せられる。神職は太田家が社家として奉仕していたが、明治6年東太田家、西太田家は小田県から士族に編入され、明治10年頃からは中太田家が社司(宮司)となって祭祀に当たった。
 明治40年神饌幣帛供進社に指定される。昭和10年随神門改築。昭和28年宗教法人令が制定され神社は宗教法人となり明治以降80年の神社に関する国家管理は幕を閉じ、その後は氏子により早島の総鎮守として守られている。昭和46年本殿屋根銅板葺替。平成10年社務所移して改築。
 春、秋の大祭には吉備津神社の七十五膳据神事と同様に御盛相(米を蒸し円筒形の型枠にはめ押し抜いたもの)を御膳に盛ってお供えする特殊神事供膳祭が古式に則り行われる。また、秋祭りの神幸祭は寛保元年(1741)から行われており、早島町の秋の風物詩として大きな賑わいを見せる。(「境内由緒書き」より)

「鶴崎神社由緒」はこちらで

152号線沿いにある参道入り口の注連柱 社号標
参道の様子
参道途中に建つ常夜灯
参道の様子
石段脇に建つ
社号標
社頭
随神門
拝殿
双殿造りと呼ばれ、2つの社を1つの拝殿で繋ぐ珍しい形式の拝殿です。向かって左が八幡神社、右が鶴崎神社です。
右・鶴崎神社石段参道下にいる明治38年生まれの構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治38年(1905)5月吉日建立)
鶴崎神社石段参道途中にいる昭和8年生まれの狛犬。
栗東市・大宝神社・重文の神殿狛犬をモデルに造られたそうです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(紀元2593年 原福蔵作 昭和8年(1933)1月1日建立)
双殿造りの拝殿、向かって右側の鶴崎神社
石段の参道と大きな唐破風が付いた拝所正面
鶴崎神社本殿前を護る寛政5年生まれの狛犬
実に堂々とした浪速狛犬で、吽には頭上に突起が付いています。本場大阪でもこれほどの名品には中々お目にかかれません。シンプル且つ細部にまで神経を行き届かせた良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政5年(1793)9月吉日建立)
鶴崎神社本殿
入母屋造りで享保4年(1719)再建
左・八幡神社石段参道下にいる嘉永5年生まれの玉乗り狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
(嘉永5年(1852)5月建立)
双殿造りの拝殿、向かって左側の八幡神社
石段の参道と大きな唐破風が付いた拝所正面
八幡神社本殿
流れ造りで享保4年(1719)再建

境内左から境内社各社
境内社:御霊神社 磐座?
境内社:素盞嗚神社(素盞嗚命)
境内社:神功皇后宮(息長足比賣命、大鷦鷯命、玉依毘賣命)
五柱地大神 御神馬殿
境内社:鹿島神社(武甕槌命)
鹿島神社を護る大正15年生まれの半構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正15年(1926)5月吉辰日建立)
境内社:金刀比羅神社(金山彦神)
石碑 境内社:稲荷神社(倉稲魂神)