小田草神社

苫田郡鏡野町馬場597 (平成26年7月21日)

東経133度55分07.24秒、北緯35度07分22.76秒に鎮座。

この神社は、鏡野町役場の北北西4.5km程の辺り、馬場の街外れの山裾に鎮座しております。山頂は南北朝時代の小田草城址となっております。

由緒
本神社の南に一の穴があって小田草池といい、龍穴という。穴口三尺深さは測ることができず、伝えて、「この地に大蛇がおり、神龍と化して一千年になる。一夕、衆に託して「廟を建て奉祀せよ」と。これが勧請の始であろうと言う。」頼朝が再建立し、暦応五年斉藤実頼が再建立したと。寛文十一年国主森長継が社領十石を寄進した。明治三十年火災により社殿、宝物が灰燼。明治三十七年に神殿を造営。明治四十一年四十二社を合祀した。同四十四年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
岡山県神社庁公式サイト より。

小田草城址の説明はこちら。

参道入口

鳥居

神額

参道

境内入口

境内下の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

本殿


一の谷稲荷神社

末社

梵鐘。貞治7年(1368)3月24日小田草城主斎藤二郎と彫られているようです。