木野山神社

高梁市津川町今津1211(平成21年8月20日)

東経133度37分14.04秒、北緯34度49分21.1秒に鎮座。

 この神社は津川小学校の西約100mに鎮座しています。嘗ては参道だったと思われる一般道に社号標が建っており、正面石段奥が神社、その後ろに見える山裾が、この社の奥宮が祀られる木野山なのでしょうか?
 石段脇に又社号標が建ち、参道途中に鳥居、随神門が建っていますが、その随神門内には御眷属の狼さんの姿もあります。境内は横に広く、左側が「木野山神社」、右側には「八幡神社」が祀られています。

 御祭神:大山祇命、豐玉彦命、大己貴命
 祭礼日:4月10日〜16日・春季大祭、7月10日〜16日・夏季大祭、10月第3日曜日・例祭
 境内社:高龗神、闇龗神
 由緒:第62代村上天皇の天暦9年(955)9月16日の創建になる古社である。北に中国山脈の連山を望み、南に高梁市街が広がる景勝の地木野山山頂に奥宮があり、山麓の里宮とともに、さまざまの願いにご霊験があり「木野山さん」と親しまれ、日々遠近の人々の熱心な信仰、崇敬をあつめている。
 領主の崇敬もあつく、殊に備中松山藩主 板倉伊賀守勝静侯は、文久2年(1862)3月、当社の神徳を崇仰し、軍馬飼育守護神として特に崇敬した。
 元治元年(1864)10月、長州征伐に際し武運長久祈願のため社参され、さらに11月には献幣使を遣わされ幣帛を奉られたことが記録にみえる。 
 古くから流行病、精神病に対するご霊験は殊にあらたかで明治9年を皮切りに中国地方に猛威をふるったコレラ病は一大悲惨事を巻き起こし、この業病を免れようとする人々が昼夜の別なく参拝し、ご分霊の請待も相次ぎ格別のご神威の発揚があった。
 明治9年には当社付属の崇神講社が創設され、今日も一般崇敬とともにこの崇神講社は連綿と続いている。
 また、末社の高龗神、闇龗神の神姿が狼とされ、邪悪なものに対して高い神徳があるとして「狼の木野山さま」として古来から畏敬を集めている。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

参道入口に建つ
社号標
社頭
神社入口に建つ
社号標
参道途中に建つ明神鳥居
私としては鳥居の上に置かれた丸い石がとっても気になったのですが…。
参道途中にいる昭和10年生まれの構え獅子
威厳のある顔つきで、やや斜に構えた力強い狛犬です。尾が派手に持ち上げられ、垂れた毛先が背に付いています。丁寧に彫られた良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和10年(1935)3月5日建立)
随神門
随神門内にいる御眷属・狼さん
(格子戸の奥にガラスが填め込んであり、これだけ撮すのが精一杯でした。)
石段の参道と境内入口
拝殿
本殿
境内社