素盞嗚男神社

瀬戸内市牛窓町牛窓4928 (令和5年1月7日)

東経134度08分52.05秒、北緯34度36分59.15秒に鎮座。

この神社は、瀬戸内市の南東6.5km程の辺り、牛窓町牛窓の街中に鎮座しております。

御祭神 素盞嗚命

由緒
江戸時代、牛窓地方に疫病が流行した際、牛窓神社の境内に牛頭天王の祠を祀って悪疫退散を祈願した。これが疫神社の起こりで、のちにまた疫病に見舞われた紺浦では、牛窓神社境内から、この疫神社を現在地に移したと伝える。明治2年、素盞嗚神社と改称された。神社旧記には、「疫病流行、人命を失う者少なからず、依て此所に勧請し、衆人信仰ますます多し、紺浦氏神同様に崇尊し云々」と有りる。口碑によると疫病の大流行後、習慣として7年毎に疫病祓いの祈祷が行なわれた。先ず神前に草花を飾り、各家々では団子を作って白米と共に神前に供え、部落の老若男女が境内に参集して、太鼓を叩きながら呪文を唱え、白布を身体に巻き、大く長い注連縄を相互いに手繰りつつ合掌して、これを拝んだという。故にこれをお注連の舞いと称え、賑やかな神事であったと伝えられている。それ故、古老は今尚、御薬神様、疫神様、お注連様と称えている。本社は、牛窓神社、五香宮とともに古い由緒を有する神社で神功皇后が西国よりの御帰途、舟をこの浦に泊めさせられ、磯辺の岩に腰をお掛けになり、この宮に伝わる舞を御覧になられたと伝え、又一説には、彼の国より連れて来た童見に、舞を舞わせて、海路の無聊をなぐさめられたとも伝えている。そしてその特、腰を掛けさせられた岩を腰掛石と唱え遺蹟として今に保存せられ、その童見の舞を唐子踊り、唐子の舞いと称して、毎年秋季祭礼には神事としてこれを奉納している。
岡山県神社庁公式サイト より。

境内由緒書き等はこちら。

参道入口

鳥居正面

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(皇紀2600年記念 昭和15年(1940)建立)

拝殿内部

本殿


稲荷神社

お狐様

末社