玉井宮東照宮

岡山市中区東山1-3-81 (平成25年11月4日)

東経133度56分54.21秒、北緯34度39分11.24秒に鎮座。

この神社は、岡谷駅の東3km程の辺りに丘陵地は広がっています。その中、東山公園と幣立山公園の中ほどの高台に鎮座しております。

御祭神 豐玉比賣命・玉依比賣命・彦火火出見尊・徳川家康

由緒
本社は元児島郡小串村大字光明崎(今は米崎)に鎮座されていたが、応徳2年(1085)当東山に移転遷座して玉井宮と称せられるようになった。この遷座にあたり、次のような伝説がある。
その頃、社のあった山頂から、毎夜怪光が海面を照らし魚が恐れてよりつかず、猟師たちは困って其の事を神前に告げ、ご神託を受けた。ご神託は「御幣が舞い上がり飛んで行き上道郡門田の山中に立つ、そこへ遷座せよ」というものであった。その御幣が飛来し立った所がこの地(故にこの山を幣立山という)で、社名を玉井宮または玉の宮と称した。
その後、正保2年(1645)藩主池田光政公の命により、この地に東照宮を勧請するにあたり、玉井宮は、下の広場(今の駐車場)へ遷座され、国内別格5社の1社に列せられた。
明治14年(1881)玉井宮と東照宮は合祀され、社名を玉井宮東照宮とし、県社に列格した。明治33年(1900)旧玉井宮の建物を移転し、西日本屈指の大拝殿の建立等大造営が行われた。その立派な社殿郡も平成元年(1989)1月31日未明不慮の火災により、幣拝殿・神饌所・社務所・参集所等焼失した。しかし、氏子崇敬者の尽力により、4年の歳月をかけ現在の姿に復興した。ご利益として、嘉永3年(1850)高松中納言季実卿の執奏により、皇后ご安産のご祈願を行い、当時の祠官佐々木左兵衛介は上京参内しお守り札を献上している。その時高松中納言から「大君の御子のいのりの功績を雲井に高くきこえあげたり」という和歌が下され、ご祭神のいわれとともに安産の神様として崇敬を集めてきた。
岡山県神社庁公式サイト より

境内由緒書き等はこちら。

神社入口

参道入口の猫顔狛犬。拡大写真はこちら。
(明治39年(1906)10月再建)

参道

石段上。石段は左手。

鳥居

神額

随身門

境内入口と注連柱

境内

拝殿

拝殿内部

中門

本殿


三勲神社

綺麗に掃除をして台座に座らせればもっと見栄えがすると思われます。残念!

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